朝陽を浴びて輝く富士山
雲がフラフープのように富士山の中腹にかかっています…
今日は左側が欠けていますが、すっぽりとリングのようにかかる時もあります。
空が青くなって、元気な雲が富士山の山頂付近で踊っています。
子供の頃、生家の裏庭、堀抜き井戸の脇で祖母は朝早く、富士山を始め遠くに見える伊豆の山々を拝んでいました。
父も「富士山は登る山ではない。拝むものだ。」と言っていました。
富士市生まれの母親は、女学校時代に富士山に登った事があります。誰が撮影したのか、お下げ髪に、白ブラウス、もんぺ姿でにこやかに微笑み、友人たちと肩を組んでいる写真まで家に残っていました。
晩年は口癖の様に「朝昼富士山が見えないと寂しい。」と言っていました。
富士山がドーンと大きく見える場所に育った母は、遠くに見える上品な富士山では物足りなかったようです……
私の通った高校でも一年生の富士登山は計画されていましたが、生憎の悪天候の為に中止になってしまいました。
毎日放課後校舎の階段を五階まで昇降して足腰を鍛えることはかなり大変でしたので、中止になって喜んだやや太目の生徒、折角の富士登山を期待していたのに残念だった私みたいな生徒。悲喜交々でした。
今でももしあの時登れていたら私の人生観も違ったものになっていたかも知れないなどと思っています。
登ったことが無いから、純粋に憧れ、拝むことが出来ます。
本当に神々しく美しく思えます。
登ったことのある人に、人々で溢れかえっていたとか、色々聞いても
自分の目で見た訳ではありませんので、我関せずです。
私にとって富士山は拝む対象。
天国みたいな感覚。
先祖たちの天上の世界のようなものです。