阪神淡路大震災から二十年の歳月が経ちました。
あの朝の衝撃は昨日の事のよう。
朝六時前にテレビで関西地方の地震の一報。
直ぐに大阪に嫁いだ学生時代の友人に電話。
想像していたよりも割合簡単に通じた電話口に出た友人は、私の声を聞いて泣き出してしまいました。
たまたまご主人は出張中で子供のいない彼女は真っ暗な家に一人。
サイドボードが倒れて家の中はめちゃめちゃになっているけれどもケガはしていないと言う。
無事を確認して切ると、東京の彼女の実家のお母さんに報告。
東京から関西地方への電話は殆ど通じなくなっていて、とても心配していらしたとのこと。
その日からテレビや新聞で報道されることは、恐ろしいことばかり。
親や、祖母から聞いた戦争中の空襲体験よりも現実感があって怖ろしい。
あの日も道端の水仙が春を告げるように咲いていました。
あの日京大の学生だった身体の大きな一人の若者は、水を担いで震災ボランティアに通いました。
そして災害時には、規制の官公庁を超えた、政治の力が必要なのだと思ったそうです。
この建物の下に人が下敷きになっていると言っても、上からの命令がないと、現場の救助隊は勝手に動けないのです。
確かに、消防、警察、自衛隊皆組織の一員ですから、勝手に動かれては、困ります…
緊急時の対応力は、実践経験が大切。
あの日から二十年。
一人の若者は、ボランティアスタッフのまとめ役だった賢い女性と結婚して、政治家になりました。
彼を試すかのように、東日本大震災で、中途半端に微妙な重要な立場。
国民の為とは庶民の為なのか
一部の大企業の為なのか、
政治の難しさ、リーダーの大変さ等勉強になったことでしょう。
明日党の代表選。
何か繋がりを感じるのは、私だけでしょうか?
政治家を目指した時の初心に返って
人々の為に
信頼されるリーダーになって下さい!