私は正義であることを欲する
さぞ苦しいであろう
さぞお困りであろう
死んだほうがましだと考える
その心持ちもよくわかる
だが あなたよりもっと苦労しながら立ち上がった人がある
もっと困っていながら切り抜けた人がいる
絶望してはならない
人生には必ず活路がある
人を呪うよりも 自分の在り方を反省することだ
人の幸福をうらやむよりも 自ら築くことに努めることだ
そして神仏に仕えるつもりで人々に奉仕すれば
人々を幸いにすると共に自分が幸いになる
善人は人から重んぜられ
正義は人から尊ばれる筈である
しかし 善人なればこそ悪人に嫌われ
正義なればこそ 不正の輩にしりぞけられる
善人 必ずしも重んじられず
正義 必ずしも尊ばれない
だが悪人にして栄えたためしなく
不正にして誉れを得たものはない
重んぜられずともよい
私は善人でありたい
尊ばれなくともよい
私は正義であることを欲する
日蓮宗総本山 身延山久遠寺 第九十世 日勇上人
九月一日は、私の亡き父の誕生日です…
大正9年(1920) ~昭和41年(1966) 12月25日没
第二次世界大戦の時には、海軍の水兵でした。
私が13才の時に、デコボコに傷んだ農業用の道路をみんなが通り易くするように、独りでボランティアで直している時に、脳出血で倒れて、その夜に亡くなったので、子供の目で見た父の思い出しかありません。
子供の私にとっては、笑い声等聞かない位真面目で、厳格な父親でしたが、
周りの大人の評価によると、
正義感の強い、とても善い人だったようです。
父の亡き後も、小学校からの幼なじみや、戦友等が遠方からもお墓参りに訪ねて下さったりするとみんなに好かれていたんだなぁと嬉しくなります。
90才近い同級生が、父の思い出話をして下さる時には、亡き父が傍に居るような
気持ちになります。
父も富士山の麓で、百姓として一生を終わりました。