夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

母への手紙 感謝

2016-09-15 21:50:21 | 日記・エッセイ・コラム

                   母への手紙  第2話  感謝

  お母さんが亡くなって

あっというまに2年のつきひが

ながれました

 

認知症をわずらってからのお母さんは

お母さんだけの記憶のなかで

生きていましたね

 

お母さんにしかみえていない家族との会話をきくと

わたしは決して よい娘ではなかったようですね

 

はやくに亡くなったお父さんに

語りかけるように

わたしの悪口をいう

お母さんとの毎日は

介護をするわたしにとって

つらい日々でした

 

でも最期のとき

わたしの名前をよんで

Гありがとう」と

ひとこと いってくれましたね

 

あのひとことのおかげで

わたしは すくわれました

どうかお父さんといっしょに

いつまでも わたしたちを

みまもっていてください

 

お母さん ありがとう

 

    今から26年前死の床にいる母が、四人兄妹のうちで、長兄と私の名前だけをしきりに呼んでいた声が耳を離れません。

 薄れ行く意識の中で、

父亡き後母親と一緒に必死に家を守って来た長兄と末っ子で一人娘の私の名前を、驚く程大きなハッキリした声で呼び続けていましたね!

   お母さん 最期迄私の名前を忘れないでいてくれてありがとう。

 

 お母さんは、何時も私の幸せを願っていてくれましたね……

旧家の嫁として大変な立場や、未亡人になって、自分と同じ辛い思いはさせたくない。

体力的に肉体労働は無理だろうからと、次男坊で土地も家も車も電話も何も無い、

気は優しくて、力持ちの夫との結婚を勧めましたね!

 病気や手術での入院など色々と心配をかけ続けて来た私です。

 が、度々の試練を乗り越えて、今でもお母さんの勧めてくれた健康第一の男性と幸せに暮らしていますよ。

 私たち夫婦も六人の孫たちの祖父母になって、

保育園の敬老の日の集いに揃って参加するほど年齢を重ねています。

 来年は、結婚40周年。

本と編み物の好きな私が読書や編み物をする時間が持てるようにと心配していてくれましたが、

今は、全自動洗濯機や、全自動食器洗いがあるから、睡眠を削って迄働かなくても大丈夫ですよ。

 もう少しこちらで生活すると思いますが、あちらでお会いした時には、色々と積もる話をしたいと思っています!

   それではまた お便りしますね… 皆さんにも宜しくお伝え下さいね。