沖縄返還50年
昭和47年5月15日
私は、目白の田中角栄邸向かいの女子大学で学んでいました。
田中角栄邸門前にはポリスボックス。
目白通りには、警察車両の他に、
黒塗りの高級車や
社旗をはためかせた報道機関各社の車列。
空には取材のヘリコプターの騒音。
歴史的な瞬間を身近に感じていたと思います。
昭和20年の敗戦から27年も経過して、やっと沖縄が日本に返還されたのです。
戦後昭和28年生まれの私も二十歳になろうとしていました。
大学にも沖縄出身の方々が沢山在籍していました。
同じ日本人なのに
外国に留学するのと同じように、
色々な手続きが必要とか、
カバン等荷物の中身を調べられるとか、お金がドルとか
車は右側通行とか
知識としてある程度は知っていたものの、
実際に当人たちに聞くと、本当に大変なんだと痛感しました。
沖縄県出身の先輩
女子大の寮で同室だった宮古島出身の先輩は、
交通費が掛かるからと言って
夏休みも帰省しないで勉強に励んでいました。
私も父を早くに亡くした地方出身の奨学生だったので、
かなり一生懸命勉強した方だと思いますが、
彼女はいわゆる内地の人とは気合が全然違っていました。
やる気、並外れた優しさ、気配り、親切等々。。。
大人の女性として凄く勉強になりました。
現在私がお世話になっている新富士病院の理事長川上正人先生も沖縄宮古島出身。
とても素晴らしい先生です。
訪問マッサージに来てくれる山城先生も沖縄県出身です。
高校迄沖縄で学んで、高校卒業後本土の学校に進学。
内地の人の為に頑張って下さっています。
何度も沖縄を訪ねていますが、観光地の豪華なホテルと
民家の格差に驚きました。
貴賓、来賓の通る空港から、立派な式典会場への道路は舗装されていますが、その他の周辺道路や民間の施設。庶民の家屋等は昭和47年頃の本土並。
見かけだけでなく、本当に必要な所に税金を使って欲しいと思います。
先の太平洋戦争で沖縄県民の四分の一が命を落としたそうです。
ロシアのウクライナ侵略戦争がまだ続いていますが、
一日も早く終わって
平和な世界になることを望みます。
自宅東南水辺の小径 の花々
戦争犠牲者の御霊に...