夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

狐の剃刀

2011-08-20 22:02:49 | 日記・エッセイ・コラム

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こんなに可憐で美しい色の野の花なのに、名前は『狐の剃刀』。

名付けた人は、山の日陰の下草の中にこんなに綺麗な花が咲く訳が無いと考えて、狐の仕業だと思ったのでしょう。

いつもは木の下の他の植物の中にひっそりとしています。地上には、影も形もありません。

夏の終わりに、突然こんなに鮮やかな色のダイヤモンドリリーのような花を咲かせます。

花が終わると緑色の葉が出て来ます。

玉簾の花のような緑色の実もなります。種は黒色です。

野草です。ヒガンバナ科の花です。

『狐の剃刀』の存在を知っている人は、注意すれば、山野で割と見つけることが出来ます。

写真を見て今度探して見て下さいね。

出会えると可愛らしさにとっても感激しますよ!


どの花も綺麗です

2011-08-19 21:55:43 | 日記・エッセイ・コラム

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いつも使っているカメラが、また故障してしまいましたので、奮発して新しいデジタルカメラを購入しました。私は、いつまで使えるのか解りませんが、カメラならケビンが使うと思います。

今日の写真は新しいデジタルカメラで撮影しました。

正直なところ、まだ詳しい使い方が良く解りません。特徴や写り具合などこれから研究します。

ここのところ富士山はほとんど見えません。

見えた日も、生憎私の調子が悪くて外に出れませんでした。

庭の草花は、私の娘のようなものですから、綺麗に撮ってあげましょう。

それにしても毎日良くこんなに咲きますね。

ひまわり、ガーベラ、モミジ葵は我が家の花ではありません。

セニアカーの散歩道で撮影しました。

どの花見ても綺麗です。


花好きにつける薬は無い

2011-08-18 21:25:35 | 日記・エッセイ・コラム

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暑い暑いとダウンしているうちに、秋は確実に近づいています。

唐辛子?の実。

色々な色の実が瑞々しい。

身障者の作業所で買いました。

「ありがとうこざいます」の挨拶が大きな声で元気が良くて、こちらまで元気になります。

土作りからきちんとしているので、とても元気な鉢植えです。

「また何か植えたの?」

近所の奥さんのおっしゃる通りです。

病気で、花の手入れが出来なくなって来たから、泣く泣く植木を切ってもらったのに、我が家の庭はあっという間にまた花畑になってしまいました。

処分する植木や花を人に差し上げて、やっとの事でスロープを作ったのに、ケビンはまた私の好きな花の苗や鉢植えを買って来てくれます。

「目の保養になる」そうです。

私は、ほとんど世話も出来ないのですけれども、愛情だけは持っていますので、色々な花が良く咲いて道行く人々や、配達人を始め訪問者の目を楽しませてくれます。


お構いなくとお構いなし

2011-08-17 22:05:34 | 日記・エッセイ・コラム

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「お構いなく」と「お構いなし」

『く』と『し』が違うだけなのに全然意味が違う。

お茶や、お菓子などを勧めた時、「頂きます。」の前に「どうぞお構いなく」と言われると、とても丁寧な人と言う印象を受ける。

会話の中で、誰々は、「身だしなみや、整理整頓掃除など、全くお構いなし。」などと評価されているのを聞くと一体どんなにだらしのない人なのかしらと思う。

かまうは全く逆の意味を持っている。

「夫がかまってくれないから、寂しい。」は、夫が相手にしてくれないから寂しい。妻は夫にかまって欲しいのだ。妻は夫が好きなのだ。

「いつも兄にかまわれて泣かされていました。」は、いつも兄にいじめられて泣かされていました。

兄にかまって欲しくない。かまう兄は嫌いなのだ。

殿「構わぬ。苦しうない。近う寄れ」の答は、正妻ではない女性の立場で

皆さんが考えて下さい。


大きな木

2011-08-16 23:11:37 | 日記・エッセイ・コラム

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小山町の神社の御神木です。

鳥居の無い神社で、氏子の家には門が無いと言う由緒ある神社です。

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私の故郷のお観音様の境内の大木です。

鐘楼堂が小さく見えます。

昔はもっと大きく見えたものです。

アメリカのパソコンの友人に教えて頂いたのですけれども、

自然の中の大きな木の肌を両手でパンパンと叩いて木から出る自然の気をもらう事は自然療法になるそうです。

体調が悪いとなかなか自然の大きな木には触れませんので、ブログの写真で大きな木をご覧くださいませ。

人間の何十倍も長生きする木。

木には木の精が宿っているのでしょう。

神社の木も、お観音様の木も静かに、素朴な田舎の人々の営みや、祈りを見続けて来ました。