入梅した当地は、今朝も雨降り。
読経と6時の梵鐘、
禅堂へ戻られた老師、全員の後ろを回られ、姿勢の点検。
心していたせいか、今回は直されることは無かった(始めて)。
立禅のごとく、お立ちのままで、
今朝のお話が始まった。
私が薦める坐禅を業ずる人は、と前置きされ、
「道元禅師様が示される坐禅とは」。
- まず「正身端坐」して、かまえをしっかり整えなさい。
構えの整え方は、まず、足を組む、次に背骨を立てる、へその下を少し前へ出すようを入れる、耳と肩と対し、鼻と臍を対しめん。
唇歯相つけ、口ビルを結び少し力を入れる、舌上あごに掛けて、
目は須辛く常に開くべし、目を閉じてはいけない、
あけた目はこの姿勢でよいのか
点検する。
ここまでできたら、一度ひざを崩し、大あくびを2~3回繰り返す。
ここで再び、元の姿勢に戻る。
こうしたときの動作は、「兀兀(ごつごつ)」として、
ゆっくりと確認してから動作する。
「この不思量底を思量せよ」外の事を考えず、
自分のかまえのみ確認しつつまっすぐに座る、まっすぐに座ると、心もまっすぐになる。
道元禅師様の座禅は「正身端坐して、かまえをしっかり整えなさい」が第一の呼びかけ。
2.しかる後、「調息」に心を致すべし。
「鼻息かすかに通じ」すなわち息は口でなく
鼻からのみで行い、隣の人に悟られないような静かさ、抗えず、長からず、短からず、喚急きびしからず。
意図的な動作でなく、自然に息を吐く、「息するとは生きている証」、
その呼吸を「生きていながら、生かされている」と言う感覚を知る。
これの繰り返しは、ただそれのみに徹する「一行三昧」。
こうした考えで日常の社会生活に戻ったとき、色色な問題に対しても
一生懸命「一行三昧」する。
「このとき命の輝きを知り、歓びを知ることができる、
自分の命の輝きは、取り巻く他人に光を与える社会ができる、
こんなことを目指しなさい」(仏陀の慈悲の教え)
今自分が、どんな呼吸しているかを感じながら
「緒縁を放捨し万事を休息して」
無我の世界を楽しんでください、
そして、すべからく回向返照の退歩を学すべし」。
と老師は結ばれた。
外は、明るいが、久々の坐禅中の雨、
雨だれと時に朝ガラスの声、後は、静寂。静寂。
小鐘1つで終了。
(何故かいつもと違う鐘、音まで違っていました。)
思いなしか、今日の老師の話は力が入り、
座の時間はいつもの10分越え。