tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

「私の一年の計」とは。

2018年01月05日 | わが家の催事

人間は、どこから来てどこへ行くのでしょう」、など

話題になっていますが、「一年の計」を考えるとき、

「人間は・・・」など大きく考えなくても、

私はどこから来てどこへ行くのでしょう」を、

考える年の始めにしては、如何ですか、

人生の3/4はしっかり終わり、本当に、後の1/4が残っているのか。

今年は、こんな事をしっかり見極める年にしたい。

 

まず始めに、昨年は本当に「自分の時間の無い」年でした。

そのためには、いくつもある公職?の一つは、完全に3月でやめさせていただこう。

そして、「友を大切に、庭の花たちを大切に、そして、家族を大切に」

と、自分ファースト?を試みてみたい。

 

まず最初に、「我が家の土地、どこから来たのか」、

ご先祖様何していたのか?

を、始めてみました。

「ご先祖、の土地取得と土地貸業」。

明治維新により勝山藩主からの俸禄は無くなり、無職。

現土地、明治19年1月に購入、取得。

「地券によると」明治19年1月 福井県 主事 大野郡長 浅山正直 

から、元地主、家老秦氏・並びに開善寺から。

地籍も「勝山町御庭」であった。

将来のため、殿のから与えられた藩士屋敷(下元禄)から現地に移転、

大蓮寺川の水を敷地内に引き込み、水車小屋(精米業)を営業。

同時に余裕の土地を、当時の福井製錬の炭カラ置き場として、

貸地として地代をえていた。

すなわち余裕地を「賃貸することを生業」としていた。

祖父の代には

以来、地縁・血縁からの申し出により、現在お住まいの幾家かには

昭和7年から「住居」貸地として土地を貸し出した。

こんな事は考えもしなかった事、

少し家庭の中を見せすぎかな

「一年の計」を考えるとき、

こんなスタートから始めました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする