久しぶりに良い天気、妻と「平泉寺」をウォーキングでした。
これも私の趣味?の一つです、と言うか、
メタポの言葉が歩き始まるまえから、糖尿病予備軍
(長男が心臓内科医で、この病の恐ろしさを脅されていた)として、
又、「歩こう会」の発足の依頼を市から依頼されたことなどが動機で、
(今では150名くらいのクラブとなっている)2000年から続けています。
今は、ほぼ8000歩を1時間くらいのペース。
当地の風景観光のスポットとしては、「平泉寺」が一番でしょう。
平泉寺は、苔がすばらしく、美しい春先とは違いますが、
晩秋でも、ごらん頂くようなすばらしいところです。
又、以前報告した世界遺産への申請予定である白山信仰への上り口
(加賀・美濃・越前の3箇所あり)の一つ「越前番場」の拠点が、この平泉寺です。
参道
拝殿
苔の境内
日本の道100選になった石畳の道、僧兵たちが九頭竜川から人手で運んだものといわれている
平泉寺は、1300年ほど前の、717年(養老元年)に泰澄大師が、霊山白山登頂のために来たとき、
この地に「平泉寺」を開かれたもの。
白山信仰が盛んになるにつれ、平安初期には、登拝拠点として越前番場や白山禅定道が
開かれ、最盛期には四十八社、三十六塔、六千坊があったといわれている。
1574年一向一揆の兵火により焼失。
その10年後、顕海大僧正により白山中宮三社の仮殿を建立、平泉寺を
再興した。
中世から明治にかけ、時々の政権と結びその権力者の崇拝の地となっていた。
明治の廃仏棄釈により白山神社となったが、平泉寺と呼んでいる。
(この項、平泉寺まちづくり委員会資料抜粋)
これも私の趣味?の一つです、と言うか、
メタポの言葉が歩き始まるまえから、糖尿病予備軍
(長男が心臓内科医で、この病の恐ろしさを脅されていた)として、
又、「歩こう会」の発足の依頼を市から依頼されたことなどが動機で、
(今では150名くらいのクラブとなっている)2000年から続けています。
今は、ほぼ8000歩を1時間くらいのペース。
当地の風景観光のスポットとしては、「平泉寺」が一番でしょう。
平泉寺は、苔がすばらしく、美しい春先とは違いますが、
晩秋でも、ごらん頂くようなすばらしいところです。
又、以前報告した世界遺産への申請予定である白山信仰への上り口
(加賀・美濃・越前の3箇所あり)の一つ「越前番場」の拠点が、この平泉寺です。
参道
拝殿
苔の境内
日本の道100選になった石畳の道、僧兵たちが九頭竜川から人手で運んだものといわれている
平泉寺は、1300年ほど前の、717年(養老元年)に泰澄大師が、霊山白山登頂のために来たとき、
この地に「平泉寺」を開かれたもの。
白山信仰が盛んになるにつれ、平安初期には、登拝拠点として越前番場や白山禅定道が
開かれ、最盛期には四十八社、三十六塔、六千坊があったといわれている。
1574年一向一揆の兵火により焼失。
その10年後、顕海大僧正により白山中宮三社の仮殿を建立、平泉寺を
再興した。
中世から明治にかけ、時々の政権と結びその権力者の崇拝の地となっていた。
明治の廃仏棄釈により白山神社となったが、平泉寺と呼んでいる。
(この項、平泉寺まちづくり委員会資料抜粋)
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