日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

昼火事

2010年10月11日 | 生活・ニュース
           

昔、怖いものは「地震・雷・火事・親父」と教えられたし、そう信じたものだ。社会に出てなんとなくことの裏を知ることもある。すると、そこには質の異なった怖さを知った。怖いと思えば何でも怖くなり、知らなければ怖さはない。

怖さは実際に体験したのか、伝聞かでその深さが変わる。体験か伝聞かに係わらず戦地体験、国内での戦火体験、核の被爆体験などは、再び繰り返してはならない怖さだ。太宰治は「地震雷火事親爺、それ以上に怖い戦争が起ったなら先づ山の中へでも逃げ込まう」と書いている。

怖いもの見たさ、で戦争を起こされてはたまらないが、かかる人はいないと信じたい。最近は人ではどうしようもない大きな自然災害も多発し、甚大な被害が発生している。自然との共存を唱えながら、人間の長年にわたる自然への挑戦が招いていることかも知れない。

近所で昼火事が発生した。狭い道の奥まったところで、出火のときその家は留守だったという。立ち上る煙、小さいが何かが破裂する音、消防団指揮者は必死になって大声で指示を出している。見ているうちに火勢は強まり、2階からも炎が吹き始めた。

大勢の人が遠巻きに見つめている。唯一の救いは風のないことだと思った。消防車も入れない狭い道を挟んで人家の密集した地帯で火災が広がったら策の施しようがないかも知れない。懸命に消火にあたる人らに怖さの姿は見えなかった。火の取り扱い、改めて思いなおす。

(写真:人家密集地域での昼火事)


コメント (8)
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