日々のことを徒然に

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ヒューズの頃には戻れない

2011年12月03日 | 生活・ニュース
           

1970年の3月、大阪・千里丘陵で開かれた「大阪万博」。その開会式で原電(日本原子力発電)敦賀1号機から送られた電気で万博会場の灯が点った。この原子力の灯に、日本人の多くが明るくて大きな未来を夢見た。

あれから40年と少し原発事故が起きた。原発への賛否を含め事故の原因究明と今後の対応が決められようとしている。大方は自然エネルギー、再生エネルギーを電力に変える方向に向いている。かって経験したことのない電力の逼迫、日本再生のためにも結論が急がれる。

そんな電気エネルギーの原点は水力発電。水の落下エネルギーを電気に変えていた「水車・発電機(水車を原動機とした発電機)」が湖面を見下ろす吹き抜けの建屋に残されている。弥栄ダム建設に伴う岸根発電所廃止を記念しここに設置した、とある。

その発電機は1920(大正9年)年から1985年(昭和60)年の65年間に渡って発電を続けた。その間の発電電力量は9億キロワットアワー。フランシス水車と明電舎の同期発電機の組み合わせ、最大出力は900キロワット。今に思えば小型の小型だろう。石油換算で20万キロリットルになるそうだ。

電気使用量が超過すると「ヒューズが飛んだ、切れた」という子どものころ、それがいつの頃からか「ブレーカーが落ちた」といういい方に変わった。ヒューズの時代へは戻れないが、節約はいつも心がけたい。冬季節電のお願いが始まっている。

(写真:記念に残された水車・発電機、歴史を感じる)










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