
陶芸教室、行きと帰りは一緒だが、教室内ではいろいろ。ご飯用の茶碗にどんぶり、ビールジョッキーに湯呑、茶会用に来客用、菓子器に果物皿など仲間内の粘土製品は多彩。その作り方はメンバーの数だけ、それだから同じ作品はない。毎回複数個いい形で作り上げる手早いメンバー、削りに削って肉厚の薄い作品に仕上げる人、使った釉薬をきちんとメモする人、黙してろくろを回す人などその創作姿勢もそれぞれ。そこから世界で一つの作品が出来上がる。
ある日の陶芸教室。隣の創作台に制作中のコーヒーカップがいくつかある。それだけなら何も珍しくはないがその形。カップの内側に気持ち良く眠っているような人形の顔が付けられている。飾りとしてカップの外側なら分からないでもないが、といぶかしく思い眺める。我らがグループならすぐにでも聞けるが、顔を知らない人。
いぶかしく眺めたカップの製作者登場でその目的を聞いた。カップを湯船に見立てる。ミルクを入れると牛乳風呂、泡の浮いたコーヒーだと泡風呂、そんなお風呂に入ると気持ちいいだろうという思い付きで作っている、と笑う。誰の迷惑になるわけでもなし自由創作を楽しめばいい。だがいまひとつ意図について分かりかねた。
この教室では他のグループと一緒になることもある。共通項は粘土という2文字だけだが不思議と会話が進む。時には教えたり教わったりと情報交換もある。年長者の遠慮なさがそうさせているようだ。先日は外国女性のグループにも出合った。真剣な取り組みに好感をもった。月2回、子や孫のような指導員のもとで楽しんでいる。指導員の苦労話をいつか聞いてみよう。