
定年退職は2000年10月。その日、使い慣れた会社手帳から市販のものに変えた。すると、何とも言えない新鮮さと、新たな道へ踏み出したという自覚が生まれた。これが「気分一新」か、それからは毎年この時期に翌年の手帳を購入する。
一冊目のとき、白紙の手帳に、家族の記念日や両親祖父母の命日などを記入した。そんなことでは予定欄は埋まらない、この先、埋まっていくのか心配した。その後、契約社員として勤務したり、誘われたり飛び込んだりして、複数の趣味の会や団体に入会や参加をした。すると、自然に予定欄が埋まり、退職日の心配は消えた。今は半年先の予定もちらほら、私的な予定を変更することもある。
今年の手帳をパラパラと繰ってみる。大方は予定とその結果、災害発生などの覚え書きで、他人には雑事に思えることが多い。そうは言っても、人との約束は、間違って迷惑をかけてはいけないと、心して書き込んでいる。そんな手帳が机の引き出しの奥に並んでいる。取り出して見ることはなく、保管する意味はない。そう思うものの断捨離は忍びがたく、また、年に応じた自分なりの跡が残ると思い、そのままにしている。
自称会社人間だった。定年後はごろごろと家にいるのではないか、妻は口にこそ出さなかったが心配していた。今は、私の予定を確認してから頼みたい家事を言い出す。市販の手帳は15冊目、忘れ防止の相棒としてこれから1年、よろしく頼みます。これまで、11月分から備わっていたページが12月からに変わっている。ひと月分が減頁されたのは時勢を反映したコスト削減対策だろうか。