
22年前の今日、そろそろ起床する時間だと思った時に大きな揺れ、それが阪神淡路大震災だった。すぐにTVのスイッチを押す。記録では午前5時46分となっている。大きな揺れに新築中の我が家が気になった。いつもより早く家を出て現場確認、異常ないことを確認しほっとした。カーラジオを聞きながら職場へ着いたのは7時ころ、TV中継映像に驚いた。
ひとり住まいの同僚の母親が閉じ込められ心配したが救助された報に安心する間もなく、報道機関から社員の家族が亡くなったことについて取材など、被害の拡大と合わせ通常業務棚上げの一日だった。夕方、神戸在住の高校時代の級友死亡の報せに驚く。彼は被害の大きかった長田区で海外にも工場持つ合成皮革製品の経営者として活躍していたが、志半ばで道が途絶えた。
その長田区では8割の企業が被災した。これの復旧を担った神戸市の産業支援第三セクターが「役割を終えた」として今年度中に解散するという小さな記事が目についた。級友が被災していなかったら見逃したであろう記事を読みながら、22年経ってようやく震災被害の支援が終了するという長い期間に驚いた。
これを思うと、まもなく6年になる東日本大震災の完全復旧はどのくらいの時間を要するのだろうか。津波と合わせ阪神に比べ大きな違いは原発事故による放射能という目に見えず臭いもない恐怖を拭わねばならない。金を積めば消えるものではない、確かな原状回復への工程を早く示し、そして進められることを願う。亡くなられた方に合掌。