
昔、総理に係る事件で誕生し時代の言葉にもなった「記憶にございません」、どっこいまだ生きていた。今回も総理にまつわる疑義から国会がもめている。幾度となく赤絨毯のうえで解明が図られようとしたが肝心なところで「記憶にございません」をはじめとして、「メモは取っていない」「取ったメモは破棄した」、「資料は存在しない」など、税金から給料を得ている人らとは思えない発言に驚きあきれている。
言い換えれば、わが身を守ることはしっかり記憶しているが、逆になることは明らかにしない。うつむき加減で元気なく答える、準備された書面を下向きで読む、何かおどおどしている、素人目には「何か隠している」としか見えない。「給料はどこから出ているかご存知」と聞いてみたい。
最近、そばの注文を受けた店員が「かけ」ですか「もり」ですかと聞けなくなった、そんな噺をしている。どちらに依怙贔屓するわけでもないのにそうなる。「もり」で資料が一切ないと言い張った人が税金徴取のトップに就いた。そこで「資料がなくなったのですが経費と認めてくださいと税申告する」そんな噺も出始めているとか。噺としては面白いが通用はしないだろうとおもうが、どうだろう。
入梅前から咲き始め毎朝楽しませてくれた朝顔のメリーゴーランド、このところの暑さか、あるいは今年の務めを終えたのか咲が止まっていた。ところが台風5号に刺激されたのか今朝は驚くほどの花数。何か刺激があれば息を吹き返す証明かもしれない。新しいメモも出た、内閣改造で閣僚も変わった、さあ、破棄した、記憶にない、忘れた、覚えていない、ことごとを思い出すチャンスとなった。国民の公僕、古くても意味ある言葉を噛みしめてほしい。