
「1年遅れだが喜寿の祝いをしよう」という呼びかけに「待っていた」と返事をくれたなかに関西在住の一人がいた。久しぶりのことで、事前に参加者の名前を確認するなど楽しみにしている様子がよく分かっていた。しかし、病状の悪化で移動困難となり、「参加できない状況と残念さ」を長い時間電話で語った。
参加者全員が色紙に寄せ書きをした。元気づける色紙と当日の写真、少しばかりの岩国外郎を送った。「いろいろ届いた、有り難う、外郎をおいしくいただいた」と電話を掛けてきた。その声に弱さを感じたが、胸にしまっておいた。
それからひと月、携帯に複数回電話したが留守電、これまではすぐに返信があった。固定電話に掛けた。「会へ参加できなくて非常に残念がっていましたが先日亡くなりました。色紙を大変喜んでおりました」と奥さんの声。葬儀などは本人の遺志に沿って執り済ませたなど伺った。上高地の梓川へ散骨希望だがそれはこれから、上高地は新婚旅行の地ですと声が潤む。
彼は出向先のマレーシア工場の工場長を長く務めた。出張で訪問したことがある。従業員の国籍は3ヵ国、宗教も異なり工場内に礼拝所がある。業務会話は英語、トラブルもなく定年後もしばらく務めた。現地正月の絵葉書を毎年送ってくれたのが今は思い出。
冥福を祈る。