日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

飛行機音に思う

2019年04月03日 | 社会 政治

 今おもえば飛行機の乗ったのはいつだったろうか。記憶では阪神淡路大震災の直後に利用してから乗っていない。その時はこうだった。同僚の結婚式が大阪であり披露宴に招待されてうた。地震で交通手段が途絶えた。そこで、行きは新幹線で博多へ、福岡から伊丹空港へ飛行機、伊丹から披露宴会場まで車。帰りは大阪駅まで車。そこから関空経由で博多空港。新幹線で岩国へ帰着した。

 上その時、空から見た阪神地区の住宅の屋根がブルーシートで覆われた様子は今も記憶している。その後の復興は報道で知るだけだが、震災を知らない住民が多く、震災被害が風化しないかと心配される。その後ブルーシートが自治体でも準備され、自然災害の応急対策に利用されている様子を見るたび、上空から見たあの時を思い出す。

 飛行機に初めて乗ったのは大阪万博開幕の日で、函館に住む叔母の連れ合いが亡くなった時。羽田から函館、機体は国産のYS11だった。席がプロペラの良く見える位置で、津軽海峡に差し掛かると回転が次第にさがる。函館は雪が舞っていた。

 青空に弧を描く飛行機雲を見ながら艦載機の飛行音を聞いている。音のない静かな飛行機雲と戦闘機の轟音の不協和音に世界の荒れた繋がりを感じる。戦闘機不要の時代はいつかやって来ないかと長く思っているが、強化と増強されることばかりが伝わる。しばらくすると飛行機雲は拡散、轟音だけは続いた。 
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