日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

蛤町という名前

2011年12月21日 | 町かど
           

行政が合理化されるに従い歴史ある町名などが表から消えるていく。歴史町名はそこで何が営まれていたが知ることができ、郷土への認識を高めていた。かってを偲ばすそれらが杉の板に墨書きされて残されるが、墨の薄れてとともに記憶からも遠のいていく。

JR岩徳線の西岩国駅から錦川の鉄橋までの区間は旧城下町を貫いている。そこらは戦国のころの戦に備えた町のつくりで、馬も並んでは通れない狭さ。さらに、地元でも迷路と呼ばれるくらい込みいった曲がりや交差をしている。軽自動車の離合もままならないが、町並みには歴史を感じる。

そんな町中を通るJRの線路は盛り土された上に施設されている。そのため狭いけれども道を横切る時は鉄道橋にる。その鉄道橋には「けたに注意」という表示が取り付けられ、側にその位置を表す名称と、異常が発生した時のJRへのお願い文がセットになっている。

10年近く何度も通っているそのひとつに「蛤町(はまぐりちょう)架道橋」とあるの事に気づいた。その通りは吉川藩時代の七町名のうちのひとつに通じる。この町名がいつのころかあったのだろう、仲間内の勉強会でも出て来ていない。そういえば「琵琶町」と杉板に書かれた町名も目にした。それは七町名の中にある。

蛤町は海に近い場所ではない、ではそういう名がどうして残っているのだろう。琵琶町、そこには琵琶を教える名高い人が住んでいたのだろうか、など思いながら歩くと、冷たい風もしばし忘れる。

(写真:JR西日本が取り付けた蛤町を示す掲示)
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お斎(おとき)

2011年12月20日 | 生活・ニュース
           

毎年この時期に「親鸞聖人報恩講」が営まれ門徒としてお参りしている。この報恩講は浄土真宗を開かれた親鸞聖人の祥月命日1月16日の法要で「御正忌報恩講」と寺だよりにある。今年は親鸞聖人750回大遠忌法要にあたる。一般寺院ではお取り越しして御正忌前に勤める。

住職の正信念仏偈の読経に声を合せるようにして唱和する。「報恩講の歌」と「旅ゆくしんらん」の2曲を歌う。続いて法座。その発端は「姑に良い話は嫁には悪いこと」の例え話から。やがて仏の救いの形へと進んだ。思い当たることもあり話は身にしみる。

昼食に「お斎」をいただく。 お斎は仏教徒の食事だからいわゆる「精進料理」。肉や魚介はなく、野菜や穀物類を中心に料理されている。今日は仏教婦人会の当番の皆さんがお世話役。暖かい豆腐汁が身体を芯から温めてくれる。

お斎の場は久しぶりに出合った皆さんの会話で社交場のように朗らかな雰囲気。精進料理は会話もなく静かにいただくものだろうが、今日は仏縁に感謝しながら知人らとの交流を図る。縁あって席が隣り合わせになったご婦人に「今朝の気温はマイナス6度でした」と山間部の寒さを教えられた。その顔は地蔵さんのようにまあるい笑顔だった。

(写真:お昼にいただいたお斎)
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心くばり

2011年12月19日 | 地域
           

以前は初めて車で行く観光地に適当な駐車場があるかは心配のひとつ。目的地の近くで無料のそれがあるのに越したことはない。何年か前になるが、ある市の広告を見て訪ねたところは、整備されていない畑が駐車場の代用だった。料金も高額、さすがにがら空きで人の姿はちらほらだった。

今はネットで調べカーナビに頼ってと気にしなくて済む。また、観光地はリピータ獲得にも力が入り、何年か前に経験したような駐車場はなくなった。気持ちよく停めれる駐車場、ほっとしたことが何度もある。

錦帯橋下流の川原、どのくらいの広さがあるの分からないがそこは天然の駐車場。桜のころには下流の橋近くまでがそれになり、大駐車場に一変する。ここの利用は錦帯橋近くがバス専用、そこから下流が自家用車に分かれている。休日には整理料が必要らしいが、地元ゆえ使ったがない。

ウイークデーは駐車スペースを示す白線が暇そうに青空と会話していることが多い。そんな川原駐車場に横断歩道が描かれている。いつ描かれたのか線は真っ白で踏まれたような跡も見えない。これを通ると駐車場へ入ってくるバスなどを避けれる。安全への心遣いは誰の策だろうか。例年通りならこの次の満車は初詣だろう。穏やかな年明け願う。

(写真:白線が暇そうな川原駐車場)
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赤い実

2011年12月18日 | 生活・ニュース
           

今朝の最低気温はマイナス1.7度で今冬最低。市内でも山間部ではマイナス5度近くまで下がっている。「寒い寒いと口に出したらひどうを寒うなる」祖父はよくそんなことを言いながら焚火をしてくれた。時間いっぱいまで暖まり、小学校を目指していた。

寒くなっても登校する男児の中には半ズボン姿も見える。身体を丸めることもなく伸びやかにしている。寒さ冷たさを感じていないかのようだが、流行りの薄くて暖かい肌着を着こんでいるのかも。何十年か前はもっと寒かったと思うが、服装までは記憶にない。

今朝の寒さのせいか南天の実の赤色が妙に輝いて見えた。あちこちで見かけるこの冬の南天、豊作というのかどこも良く実をつけている。南天は松竹梅と合わせ正月の飾り物のひとつとして欠かせない。それが好まれるのは難転と置き換え、難(なん)を転(てん)じてくれる縁起のよいものだからと言われる。

子どものころには隣近所で夕食に作ったお寿司や煮ものなどのやり取りがよくあった。それには南天の葉が必ず乗せられていた。その訳は「食あたりをしないまじない」と祖母に教わった気がする。障子を外側から開けるときの手をかける部分にも南天の葉を挟み張りした。邪が入りづらくするというのも祖母から。そんな障子は見かけなくなった。

小さな実や葉の1枚にも意味を求め楽しんだ昔の人の遊び心に感心、寒い朝の南天が語りかけてくれた。

(写真:寒さに一段と冴えて見える南天の実)
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静かなサンタ商戦?

2011年12月17日 | 生活・ニュース
           

ローカルニュースでフィンランド公認のサンタクロースがやって来たと教えてくれた。登場したサンタに、子どもらの「おっ」と驚く顔がすぐに笑顔になる。そうだろう、その姿はなんとなく「本物だ」と感じさせる。公認という先入観もあろうが、あの白いヒゲに赤い服、何よりも体格の良さに不似合いな優しい目元がいい。

今年のサンタ商戦、音量が気のせいか少し静かな感じがする。それでも店内はサンタクロース一色。和物の好きな婦人が正月用のそれを探すが今年は見当たらない、とこぼしていた。ミニ門松作成のお世話人からも同じことを聞いた。何かが変わったのだろうか。

続いてくるのが年末、締め飾りにパック入りのお飾り餅は店頭に並んだ。まだ求める人を見かけない。おせち料理用の食材コーナーも設けられていた。一方で高額なおせちの注文が多いという。いろいろなことがあったり起きたりした今年からチェンジするためだろうか。

孫も大きくなるとサンタは来なくなる。サンタは来なくても実質は来たと変わらないように嫁に手配済みと家内。離れて住むとなおのことそうなる。今年のクリスマス商戦は景気挽回の足しになるのだろうか。震災地の子らにも気持ちだけ届けたい。

(写真:例年より少し控えめなスパー入口のツリー)
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手作りのミニ門松

2011年12月16日 | 生活・ニュース
           

        

常套句ではあるがあと2週間で新しい年を迎える。特別に何もしないから、とはいいながら長年身についた正月のあれこれから、年を重ねているだけに突然手を引くことはない。その初めが飾り物つくり。

恒例になったミニ門松作り。今年も大方が老老のメンバーで催された。初回から参加の者は慣れた手つきでノコやナタを使い創作に入る。幹事さんの準備の飾りやミニ葉牡丹、欠かせない松竹梅などを組み合わせ飾りつける。持参の小物も加わる。

若い女性の姿も何人か。「ノコは引くときに切れる」など道具の使い方を教わりながら挑戦する。表情には作る喜びがうかがえる。苦労するのはそぎに切った竹3本を結束すること。お互い手を貸しながら仕上げる。

そぎの切り口は「口を開いて笑う」笑顔の作品が多い。いろいろあった・起きた今年、そこから来る年がいい年に、というみんなの願いがうかがえる。自身も笑顔のそぎで完成させた。年明けまで生き物をしおらせないようにし、いい年を迎えよう。

(写真:自作と参加者全員のミニ門松)


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年金振込の日

2011年12月15日 | 生活・ニュース
           

近くの金融機関へ。えっ、と驚くほどの客数。高齢者が多いので今日は15日、年金の振込日と気づいた。ATMのそばには職員が立っている。振り込め詐欺への送金防止や操作の不慣れな人の応援をしている。パトロール中の制服の警察官も立ち寄った。月日を考えるとなんとなく慌ただしさを感じる風景だ。

先日、ATM前面の新しい掲示が目についた。それには「1度の振り込みは2件まで」と、ほかの人への迷惑防止を呼び掛けていた。いやな思いを思い出した。ATM機が2台設置されている小さな郵便局。2人の人が何枚もの用紙を持って振り込んでいた。月末という事情があったけれど、20分待ったが終わりそうにないので出なおしたことがある。

「岩国ポリスメール」という警察からの情報メールを受けている。多いのが高齢者に係る交通事故と振り込め詐欺の被害。詐欺は「なりすまし」という子や孫、公務員などになりすまし善人を騙すたぐい。その多さに驚いている。騙しと気づき警察へ通報、被害にあわなかった情報を読むと胸をなでおろす。今日も2件類似の情報を受信した。

高齢者といえどもATMをさっさと操作される人も多い。子や孫と信じれば、使い慣れた台所用品のようにATMを操作して送金が終わる。騙す手口の内容はほぼ同じ。「携帯を変えた」「風邪をひいた」「妊娠させた」「保険金の還付がある」などの組み合わせだ。気をつけよう。

今年の一字は「絆」。「断つことのできない人と人との結びつき」をいうそうだ。被害にあわないようお互い注意を促そう。

(写真:寄り添うように残っていた桜の紅葉)

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幸せの3回目

2011年12月14日 | 地域
           

錦帯橋から数百メートルにある椎尾八幡宮(しいのおはちまんぐう)は氏神様。初詣はここと決めて何十年、除夜の鐘を聞きながら石段を上る。その八幡宮で行われるある式年祭に「一生で3度出合える人は幸せだ」と子ども心に記憶している。今のままいければその式年祭の3度目に出合えそうだが、どうだろう。

「平成25年 椎尾八幡宮三十三年式年大祭」という大きな垂れ幕が上り石段へ掛けられたのを見て知った。平成25年は2013年になる。ということは出合いの初回はその66年前の1947(昭和22)年、2回目は1980(昭和55)年に出会い、幸せの3回目が再来年ということになる。

大きな道路が作られかっての石段は形を変えたが、上りで一息つきながらかっての城下町を見渡せる所は変わっていない。そこで行われた式年祭、7歳のころのかすかな記憶では夜を徹しての神楽、33の舞が奉じられたという。3回目にはどのような式となるのだろう。待ちどうしい。

椎尾八幡宮とは「1626(寛永3)年の創建。岩国藩2代藩主吉川広正の時、岩国山より和木村に通ずる往時の国道椎尾の地にある古神祠に猿田彦大神を祀った。これを岩国山南麓の現社地へ奉遷、同時に吉川家累代の産土神駿河八幡宮を領内由宇村より迎えて合祀、椎尾八幡宮と称した。以来吉川家をはじめ、藩内の信仰厚く産土神として崇敬された」(岩国検定資料より)。

(写真:次の33年祭を知らせる大きな垂れ幕)
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裏の芸術

2011年12月13日 | 町かど
           

昔の城下町の古い家屋敷、保存しようという話は聞くがその姿は年々減少している。維持費と変化する生活様式への板挟みに悩む、と話してくれた人がいる。大きな構えのそれの正面は白壁に歴史を偲ばせる瓦葺の低いひさし、格子の向こうに白い障子などが見え、かっての繁栄を偲ばせる。TVの黄門様は終わるそうだが、時代劇撮影が叶うのではと思う。

表は整った時代を感じさせるその歴史家も、裏に回るとまた違った今の姿が残っている。そこには長年の風化にかまうことなく過ぎた時間が感じられる。それでも、その造りや大きさから来るのか、あたりに威風を放っているのはさすがである。

内部を覗くことは出来ないが大きな蔵だったのだろうか、その西向きの大きな白壁に分岐に分岐を重ねたような何かのつるが伸びている。蜘蛛の巣のような規則性はないが一面にはびこり、宿を借りたお礼をしているよにその隔離を抑えている。蔵から表に伸びる板塀にも同じ植物が絡みついている。幾年月の営みか知る由もない。

周囲は先の大戦で戦火に見舞われることなく今に至る昔ながらの町並み。そこには、いにしえと今が同居している。いにしえといっても子どものころに目にした城下町の名残の部分。道は拡がりその両側は耐火構造になった。時代に見合った街姿に変わることは止められない。

(写真:大きな蔵に住みついたつるの芸術)



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育ちすぎ

2011年12月12日 | 生活・ニュース
           

いつだったか、正月用の出荷として植え付け中の野菜が高い気温に促され育ち過ぎて大困り、という農家のニュースが流れた。スーパーの野菜は大幅値下げされたが、本格的な鍋の時期にどうなるのか、仕入れ担当者の心配顔も映った。

日光を浴びて育つ野菜は天候に大きく左右される。最近では野菜工場なる言葉、異業種からの農業参入も増えているとか。建屋の外観はまさに工場、内部は無数の棚にLEDライトが灯り、その下には緑濃い野菜が茂っている。均一に育つようにとコンベヤーに乗って場内を循環している。心配は停電だけだろう。

TPP加入論議で日本農業への痛手の先頭に出されるのは米。いつか米の生産もLEDの下で作る時が来るのだろうか。食料の自給率の低さは問題だ。その改善策がLED作物ということでは、感覚的に私の硬い頭ではついていけない。

そんなことを思っている時「これを」と届いたのがさつま芋。その量もだが大きさにも驚いた。自家菜園で採れたもので「大きいけど大味ではない」という保証付き。夫婦2人、貰った量を食べこなすにはいくつかの工夫がいるだろう、と思うが思うだけ。実行は家内にゆだねる。さて、どのように変わるのだろうか。

(写真:芋の大きさをマッチ箱と比較)  
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