日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

胡瓜の葉の上で

2014年06月10日 | 自然 季節


 アフリカの草原をチータやライオン、ヒョウなどが食料とすべき獲物を追う。追われる小さな動物が逃げ延びると何かほっとし、倒されればこれが自然の掟、弱肉強食の世界と気の毒に思いながらも差し伸べる術はないと観念する。映像で見るこれらの一瞬は凄惨に感じる。しかし、人間も命を保つため、形こそ異なるが生あるものからその糧を得ている。

 雨こそ降らないが、梅雨特有の蒸し暑い日、プランターに植えたキュウリの初収穫をして次のなり具合を観察していた。そこで小さな生きものの獲物の捕獲に出くわした。緑は緑でも草原ならぬキュウリの葉の上。小さな蜂(名前は分からない)が、体調は倍近い細長い虫をくわているとこに出くわした。いつからそうなっているのか分からないがすぐに手のひらサイズのデジカメを持ち出す。

 虫は尾の方をくわえられている。蜂の動きは虫を持ち去ろうとするのか何度も羽ばたきをするが容易ではない。曲げたり延ばしたりと試みているが虫の抵抗は続く。虫の頭部に短い足が6本ある。これでギザギザ感のあるキュウリの葉のにしがみついている、ように見える。頑張れと応援する。蜂は飛び立つ試みを続ける。観察し始めて10分くらい経ったころ、虫の抵抗が終わったのか、蜂は獲物をぶらーんとぶら下げ、高く舞い上がっていった。

 カマキリの捕食は撮ったことはあるが、蜂が虫を捕ることを知った。大草原とキュウリの葉、草原を走る猛獣、小さな虫の抵抗を時間をかけて抑える蜂、違いはあるものの生存するためのその営みは同じだった。弱者の犠牲の上に強者が栄える世界は食の世界だけであってほしい。
 
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釣り人の挑戦

2014年06月09日 | 地域


 錦帯橋の下を流れる錦川で数人の釣り人、しばらく橋上から眺めていたが釣り上げた様子に出会えなかった。鮎釣り解禁から10日あまり、成育状況や釣果はどんな様子なのかまだ情報に接していない。黙して棹をさす姿は、釣りをしない者の目にはなんだか「ぼつねん」として見える。しかし、水中で心理戦のあることを鮎釣りのTV番組で知った。

 棹を左右にあるいは上下に動かし糸を操る。それは糸の先端の囮にした鮎が川の流れの中でいかに自然の姿で生きているかを演じさせるという。演じさせるのは鮎を釣るためだが、画面に図示される囮の動きを方の説明がまるで鮎が話ているように聞こえる。その釣り人の釣果は55匹、解禁直後としては満足したという。説明では縄張りを持たない群れ鮎を狙ったという。

 鮎は友釣り、やったことはないが言葉だけは耳学問で知っている。縄張りを持つ鮎の群れに入ってきた囮の鮎を追い払う、その行動の中で別に仕掛けてある針に引っ掛けるという。その追い払う習性を発見しただけでなく、そこから鮎を引っ掛ける漁法を考える、いつ頃から始まった釣り方だろう。

 秋になると学校の帰り橋の欄干にもたれかかり、投網での鮎獲りを眺めていた。川舟の上で体を回転させながら網が投げあげられる、円形に空を切った網はしぶきを上げて川面に落ち、沈んでいく。網が着水すりと舟上から石を網の外側に投げる。驚いた鮎は網の中へ追い込まれる、これが一網打尽。こんな道草、今もあるのだろうか。
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ころあい

2014年06月08日 | 自然 季節


 見ごろ、食べごろ、年ごろ、などそれにもっとも適した頃合いをいいあらわす。花の見ごろメロンの食べごろ、一言でその良い時期が伝わる。年ごろといえば結婚適齢期に達している頃も一つの意味。そうした頃あいを決めるのは難しい。特に自然が間に入ると難しくなる。しだれ桜で有名な観光地、その祭りというに日に車を走らせたが、見ごろは1週間前でした、と申し訳なさそうに話してくれる店員さんが気の毒だった。

 吉香公園の菖蒲まつり、花は今が見ごろで的中、それに合わせるかのように梅雨の雨も一休み。140種類11万株と公表されてる菖蒲はまさに盛り。池の周りの園路は観賞の人で賑わっている。撮影の人も多く花冥利ににつきよう。そんな花を広めようという菖蒲株の無償配布の列に並んだ。待つこと40分、所定の時間になって配布開始、私の前の女性は子供3人連れで4株、いい花が咲くだろう。振り返ると長い長い列になっていた。

 菖蒲の花を撮っている横で「花が喜ぶように描いてやりんさい」、写生中の子どもにお母さんの呼びかけ。そっくりそのまま私への呼びかけのように聞こえた。それはシャッターを押す頃合いを見計らった的を得たご忠告、気持ちの中でお礼をいいながら次の花にレンズを向けた。さて、どんな風に撮れているだろうか。      

                                                
   
 
  

 
  
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しらん

2014年06月07日 | 回想


 「昨日、二次会はどけに行った」「しらん」「どこに行ったかしらんのか」「しらん」、落語なら続けてもいいが、会話ならこのくらいにしておかないと険悪な状況になりかねない。しらんは「知らん」でなく「紫蘭」という店。近所の花畑に紫蘭が盛りのころ、通りすがりの人が「いい花なのに、しらん、では可哀想」という会話を聞いて現役のころよく行った店の名前を思い出した。

 その店は小さなビルの3階にあり、7、8名も座ればカウンターは満席、ママ一人が応対する。商売気が薄いのかオーダーしないと飲み物もつまみも出ない、払う側からすれば頼みもしないのに次々出されるよりはいいに決まっている。そのつまみは手作りの惣菜風の品が多かった。この店は心やすい仲間と飲むことに決めていた。

 店のカラオケは性能がいい、とはカラオケ好きの仲間の評価、みんなよく歌っていた。ママも歌は好きで、デュエットではマイクをよく握らされていた。ソロは歌手の気分になっての熱唱のようだった。マイクは苦手な私は聴き役が多かったが、歌うときは合いの手のように歌って助けてくれていた。

 バブル絶頂期のころの繁華街はにぎやかで、人口比日本一ともいわれていたタクシーの数でも「嬉しい悲鳴」とは親しい運転手からよく聞いていた。定年になって10数年過ぎ、とんとご無沙汰になった繁華街、今、あのお店はどうなっているか、それはつれないようだが「知らん」となる。
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世界でひとつ

2014年06月06日 | 陶芸

 陶芸教室、行きと帰りは一緒だが、教室内ではいろいろ。ご飯用の茶碗にどんぶり、ビールジョッキーに湯呑、茶会用に来客用、菓子器に果物皿など仲間内の粘土製品は多彩。その作り方はメンバーの数だけ、それだから同じ作品はない。毎回複数個いい形で作り上げる手早いメンバー、削りに削って肉厚の薄い作品に仕上げる人、使った釉薬をきちんとメモする人、黙してろくろを回す人などその創作姿勢もそれぞれ。そこから世界で一つの作品が出来上がる。

 ある日の陶芸教室。隣の創作台に制作中のコーヒーカップがいくつかある。それだけなら何も珍しくはないがその形。カップの内側に気持ち良く眠っているような人形の顔が付けられている。飾りとしてカップの外側なら分からないでもないが、といぶかしく思い眺める。我らがグループならすぐにでも聞けるが、顔を知らない人。

 いぶかしく眺めたカップの製作者登場でその目的を聞いた。カップを湯船に見立てる。ミルクを入れると牛乳風呂、泡の浮いたコーヒーだと泡風呂、そんなお風呂に入ると気持ちいいだろうという思い付きで作っている、と笑う。誰の迷惑になるわけでもなし自由創作を楽しめばいい。だがいまひとつ意図について分かりかねた。

 この教室では他のグループと一緒になることもある。共通項は粘土という2文字だけだが不思議と会話が進む。時には教えたり教わったりと情報交換もある。年長者の遠慮なさがそうさせているようだ。先日は外国女性のグループにも出合った。真剣な取り組みに好感をもった。月2回、子や孫のような指導員のもとで楽しんでいる。指導員の苦労話をいつか聞いてみよう。
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外国の料理

2014年06月05日 | 生活・ニュース


 出張でシンガポールとマレーシアへ行った、というか行かせてもらった。ある商工会議所の海外企業訪問研修の一員として3泊5日くらいの結構長旅だった。参加のいきさつは、地域のある企業からマレーシア工場長の人材派遣要請をうけ、その人選から派遣までを世話した縁で、会議所から声をかけられた。初めての海外、その後は9.11のテロで計画破棄となり、以後、海を超えていない。

 マレーシアでもいろいろとお国柄の料理をいただいた。そんな中で箸を出すことに躊躇したのは野菜炒めにのせられた姿そのままのカエル、真っ白だったその姿は今も思い出す。促され口にしたが、鶏のささ身?のように感じた以外は料理の名前も含めて記憶に残っていない。全般に辛めの香辛料、ディナーの時ずらりと並んだ薬味をさし「これから右の物には手を出すな、辛くて困るぞ」と工場長が事前に教えてくれた。

 「タイ料理」へ誘われた。そこはタイ人女性の作る料理が出されるという。マレーシアを思い出しながら、興味を持って参加した。出された料理はトムヤムクン、ヤムウンセン、トードマンプラー・・・などなど、辛みあり甘味ありそして酸っぱさもある。これがタイの味、と味わえた。タイ産のビールも違和感なく喉を通過する。国産の地ビールより美味い。さつま揚げに似た揚げ物、タイ米のカレーなどすべていただいた。アイス類はあまり口にしないが、デザートの「ココナッツアイス」は仕上げになった。

 次は「韓国料理」が計画されるらしい、何せ海外音痴、ひと時でも異国の料理に接し、それを味わえば何かを知ることになるかもしれないから次回を楽しみに待とう。そういえばステーキは西洋料理だろうが、いつも食べるのは国産牛だから外国料理とは言いづらいか。
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2020年の夢

2014年06月04日 | 地域

 間もなくサッカーのワールドカップが始まる。報道の前哨戦は燃え上がっており、いつもの国際大会のように期待を抱かせる内容で、先日は、全試合のライブ中継の予定表が紙面1頁ほどに載っていた。大会施設の完成が不安視されているが、選手は試合に向けて調整まっしぐらのようだ。

 国際大会といえば2020年の東京オリンピック。これに向けての選手強化も始まっている。名前を知られた選手の五輪へ向けた日々が報道されている。そのレベルにはまだ届かないが、地元紙で東京五輪に期待される一人とされる女の子は近くの小学校の児童。その児童は8月17日に岩手県盛岡市で開催される「全国小学生学年別柔道大会 個人6年女子重量級」に県代表として出場する。

 家が近所なので登下校時に見かけることがある。格闘技を得意とするようなファイト満々な様子は感じさせない、並んで登下校する他の女の子と変わらない。しかし、柔道となると近くに練習で対戦できる相手がいないので、金曜日の授業が終わってから日本海側の萩市まで列車を乗り継いで練習に行く、と話てくれるのは懇意にしている女の子の祖父。心配もあろうが嬉しそうな口調に期待がこもる。

 昨年の8月広島市の全国大会では5年生女子40キロ超級の部で優勝した実力。インタビューに「タイミングが合えば、紙切れのように軽く投げられるから気持ちいい」。その柔道は小学1年生から始めたという。自分の課題と秘めた練習方法をこなし全国大会へ望むという。それを応援する横断幕が女の子の通う小学校のポールに張られた。ケガをしないことを願っている。
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給餌に懸命

2014年06月03日 | 自然 季節


 ツバメが巣に止まるとその頭は天井にくっつくほどの高い位置にに作っている。何もそんなに窮屈な位置にしなくてもと思っていたが、他の野鳥、天敵のカラスなどなどから子ツバメを守るための知恵と聞いた。家の軒下で天井すれすれ、確かに襲われにくい場所だ。自然界に生きる本能だろうか。そのお返しか、子育てから巣立ちまでを見せてくれる鳥は他にいないように思う。

 今年の1番子だろうか、親の運ぶ餌をねだり巣から身を乗り出す子ツバメは親の大きさほどに育っている。まもなくの巣立ちを予想させる。餌を運んだ親は平等に餌を与えている。それは一瞬の早業、親が飛び去ると静かになる。見上げている巣から1メートルほどのところに、同じように子ツバメが餌を待っている。そちらの親の方が餌取りはうまいのか給餌回数が多い。この差はどこに現れるのだろう。

 ツバメは空が白み始めると鳴きはじめるが、その文字化は難しい。ツバメ、といえば佐々木小次郎の剣法「燕返し」。周防の国は岩国の錦帯橋畔であみだした、と吉川英治作の宮本武蔵にある。その柳とする立札も錦帯橋畔に立っており、写真におさめる人も多い。また、懐かしいところでは旧国鉄バスの車体に大きなツバメのマークがつていた。終戦後、そのバスに乗って母の実家へ何度か行った。プロ野球に国鉄スワローズというチームもあった。

 雨になると餌となる虫を求めて低空、時には路面すれすれに飛ぶ。あのスピードでよく捕えるといつも感心する。稲作農家の人が「しっかり虫を捕ってくれると助かるよ」とツバメに話しかけた。子育てに勤しむツバメへの期待は大きい。それにしてもあの飛ぶスピードで虫を口で捕る、燕返しはツバメの早業に敵うのだろうか。
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やって来ました

2014年06月02日 | 自然 季節


 山口県は中国地方だが九州圏と同じ扱いもいくつかる。同名の会議に中国と九州の両地方に参加もあるようだ。どっち付かずにならなければいいが。そんな行政の割り付けで、北九州と山口県は「今日、梅雨入り」と午前中に発表された。庭仕事をしていて「少し蒸し暑いかな」、照り付ける昨日よりはいいか、と思っていたら昼のニュースで梅雨入りしたと知った。

 先月の雨を「梅雨の走り」という予報で、少しの間梅雨らしい雨の日があった。季語で「迎え梅雨、走り梅雨」と表すと教えてくれたのは俳句をたしなむ人。幾日も陽がささず冷え冷えするのは「梅雨冷、梅雨寒」、わずかの陽が差すことを「梅雨の晴れ間」、そのほか「空梅雨、長梅雨、梅雨じめり」など季語として梅雨のいろいろを表すという。これから40日あまり、俳句をたしなむ人の感性はさえる。

 梅雨の雨のイメージ、シトシトと長く降るというのは子どものころ、最近は長時間激しく降るに変わった。そして水害のイメージが重なる。といって昔もやさしい雨ばかりではなかった。梅雨末期の雨を「篠突く雨」(しのつくあめ)」と呼んだ。これは「篠(細くて小さい竹)をたばねて突きおろすようにはげしく降る雨」という意味。ほかに激しい雨の表現として「」篠を束(つか)ねる、篠を突く」などが並んでいる。

 梅雨、雨、田植え、サツマイモ植え、農繁休暇、小学生のころの思いで。子どもも繁忙期の戦力として苗運び、小さな兄弟などの世話、上級生になると炊事や洗濯の家事手伝いもこなしていた。代掻きも田植えも機械化、サツマイモ植えは園児や児童らの体験学習用に変化した。体験した子等は「楽しかった」と喜んでいる。その幾人かが日本農業の担い手になってくれることを願っている。
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防虫剤の効能

2014年06月01日 | 生活・ニュース


 CMのような速攻で素晴らしい効能は感じないが、殺虫剤の売れる季節になった。「CMほど効けば人にも、特に赤ん坊には良くないのでは」そんな心配をしたお母さんがいた。普通に使っている実感からはその心配はあまりないように感じる。だからCMで飛んでいる蚊やハエが落ちるのはイラストで表現されているのだろう、と性根の悪さがいやみな言葉になる。

 ドラッグストアーに今年も出現した祭りの飾りのような殺虫剤コーナー。各社の製品が並んでいる。どれも害虫駆除には不似合な化粧された容器、そこには殺虫効果アッピールの文字がおどる。虫たち受難の季節がやってきた。

 多くの家のベランダや玄関や先に吊り下げてあるのは「虫にきびしく人にやさしい」という殺虫剤バリアを張るという逸品ならぬ一品、効力半年という製品も売れているという。吊るだけ・置くだけでイヤな虫を寄せつけない、というその製品の説明を何気なく見たら「適用害虫はユスリカ、チョウバエ」の2つになっている。蚊やハエ、蜂など飛んで来る虫全般と思いこんでいたが、間違っていた。適用害虫は記されているので、今日まで勝手な効能を思い描いていたことに反省。

 メーカーの説明に載っている2つの虫。「ユスリカ 成虫は蚊によく似た大きさや姿をしているが、刺すことはない。川や用水路などで発生し、蚊柱をつくる。汚れたどぶ川では大量発生することもある」。「チョウバエ 浴室・洗面所などの水回りに発生するコバエ。 石鹸カスや皮脂等の油汚れが大好き」。さて、適用害虫を判じ物にして我が家のどこに吊るすか謎解きをしよう。
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