2月28日 第3日目
今日は同行している演劇ジャーナリストの山本さんの提案で、
ハノイ平和村を訪問することにする。
今回の公演の通訳をしてくれているティちゃんが、
前日ボランティアをしてきたばかりで、
彼女を通じてお願いしてみる。
土曜日ということもあり、
今日は学校は休み。
家が近い子達は家に帰っているので、
残っている子どもたちがいるだけ。
ハノイ平和村とは、
1991年12月にドイツ人のボランティア財アンにより設立された施設で、
枯葉剤の後遺症によって生まれた子どもたちを受け入れる、
学校と病院の機能を兼ねた場所だ。
職員は、医者と教師と職業指導員がそれぞれ所属している。
当時はドイモイ政策がスタートしたばかりで、
ベトナムはまだまだ貧しく、
戦争の後遺症もまだまだたくさん残っていた。
現在枯葉剤を浴びた人たちの孫の代になっており、
その中にも、世代を超えた後遺症を抱えて生まれてくる子どもたちが多くいる。
2歳から18歳までの子どもたち120人くらいが在籍し、
スタッフが50人体制で対応している。
120人のうち80%の子どもたちが、
枯葉剤の影響による障害のある子どもたちだ。
これまでの17年間で3000人が卒業し、
知的障害から運動障害まで含めて、
どの症状の子も、それぞれの段階から回復していったという。
たとえば、病気の治療と学校教育だけでなく、
自立した生活のための職業の訓練も行っている。
2001年から、少しだが政府から援助が出るようになった。
1日の食事代が一人当たり9000ドン(=450円程度)、
1日4回の食事をするようになっている。
↑弟子入り志願中
“平和村”という名前は、
特徴的なこの施設の建設時の思いが、
そのまま表現されているのだ。
とにかく直面している問題は、経済。
ドイツのボランティア団体からの寄付は激減し、
志があっても、低賃金重労働のため、
職員の確保が難しい。
海外からの訪問客は日本人が圧倒的に多く、
日本ベトナム友好協会からは多大な寄付や援助をしてもらっているとのこと。
医療技術の提供もその大きな貢献のひとつだ。
女性の院長のフンさんの言葉は、
だからと言って寄付を募るわけでもなく、
何かを求めているといったものでもなかった。
ただ訪れてくる人たちが、
実際に目で見て、触れて、考えることだと、
その視線が語っているように思えた。
そのあとに、校庭や教室の見学をしながら、
そこらへんにいる子どもたちと遊んだ。
ハノイ大学の18歳の学生たちもボランティアに来ていて、
全体的にやたらに明るく元気な雰囲気が漂っていた。
この施設の特徴を知らなければ、
日本で言う養護学校との違いが、
そんなわからない気がした。
ひとつの現実に触れることができて、
本当に良かったと思った。
ハノイの観光は一切できなかったけど、
ここを訪問できたことで、
すべてチャラにできるな、と思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、
がラット雰囲気が変わって、
お昼ごはんは青年劇場の代表のフンさんの家にご招待。
車で着くとそこは・・・6階建ての豪邸。
中に入ると数匹の犬がお出迎え、
大型犬も檻にいる。
家の中を通り過ぎると裏には鳥小屋があり、
ガチョウやら何やらが、大騒ぎ。
何だ、ココ。
家の中にエレベーターがあって、
まぁ、どの部屋も豪華。
演出家って、そんなに儲かるのか・・・。
劇団の代表としては公務員なので、
そこの給料よりも、
売れっ子演出家としてのギャラがすごい、とか何とか。
いかにもベトナムの手料理を振舞ってもらい、
やたらに若い・・・きれいな奥さんにもてなされ、
うらやましい限りです。
フンさん、すげーおっさんなのに、
嫁は23歳ですから・・・。
劇団の女優さんだそうな。
う~ん、勉強になりました!
さて、劇場に入ってみるとアクシデントが・・・。
まず、財布を落とした劇団員が一人。
ま、それはしょうがないんだけど、
小道具がなくなっています!!
青年劇場の持ち小屋なので、
大丈夫かと思いきや、あれよあれよ。
調べてみると、ペンライトも3つなくなっている。
はぁぁぁ。
これまでの仕事で、
すごく信頼していたのに、ちょっと残念。
そのことはきちんとコーディネーターを通じて伝えると、
公演中に代わりのものを買ってきてくれた。
どうやら、劇団の人ではなく、
午前中にほかの用事で使った外部の人たちではないだろうか、とのことだった。
でもまぁ、きっとそうだろうなぁ。
だって、ここのスタッフ、
本当に良く働くし、
信頼できる。
公演のほうは、
雨が降ったりして、ベトナムタイム的に10分押して開演。
7割弱の入りかなぁ。
日本の駐ベトナム大使も観に来てくれて、
楽しんでくれたようだった。
印象的だったはロビーにいた日本語を勉強している学生たち。
なんだか、やたらに喜んでいた。
昨日同様に暖かい雰囲気での公演。
終演後の拍手を聞くと、
暖かさに、手ごたえを感じました。
そして、バラシ。
打ち上げも兼ねたパーティーもあって、
大歓迎。
僕は主演の俳優たちと、一足早くこちらに来て、
いろいろ交流した。
思いのほか日本人の参加者も多く、
とにかく楽しんでくれたとの感想を多くいただいた。
平和村で通訳してくれた先生も来てくれて、
短い滞在ながらも、
すぐにでも再会したい人たちが多かった。
使わなかった看板。
副支配人のビンさんの、
一弦琴の演奏もすばらしかった。
歌謡曲が歌われたり、
ダンスタイムになったり、
バラシ組の仕事が終わって合流。
だんだんヒートアップしてきました。
記念品をいただいたり、
ハノイでの公演の大成功を祝うことができました。
なんだかすごい楽しいパーティ。
在ハノイの日本人の方から、
事前にもっと情報がくれれば・・・というお話も聞き、
それはうれしい誤算でした。
文字通り、本当にあっという間でしたが、
ハノイでの公演2日目、
無事、終了。
お国柄とはいえ、
携帯電話とカメラの撮影は、
やはりなくしたほうが良いかな。
今日は同行している演劇ジャーナリストの山本さんの提案で、
ハノイ平和村を訪問することにする。
今回の公演の通訳をしてくれているティちゃんが、
前日ボランティアをしてきたばかりで、
彼女を通じてお願いしてみる。
土曜日ということもあり、
今日は学校は休み。
家が近い子達は家に帰っているので、
残っている子どもたちがいるだけ。
ハノイ平和村とは、
1991年12月にドイツ人のボランティア財アンにより設立された施設で、
枯葉剤の後遺症によって生まれた子どもたちを受け入れる、
学校と病院の機能を兼ねた場所だ。
職員は、医者と教師と職業指導員がそれぞれ所属している。
当時はドイモイ政策がスタートしたばかりで、
ベトナムはまだまだ貧しく、
戦争の後遺症もまだまだたくさん残っていた。
現在枯葉剤を浴びた人たちの孫の代になっており、
その中にも、世代を超えた後遺症を抱えて生まれてくる子どもたちが多くいる。
2歳から18歳までの子どもたち120人くらいが在籍し、
スタッフが50人体制で対応している。
120人のうち80%の子どもたちが、
枯葉剤の影響による障害のある子どもたちだ。
これまでの17年間で3000人が卒業し、
知的障害から運動障害まで含めて、
どの症状の子も、それぞれの段階から回復していったという。
たとえば、病気の治療と学校教育だけでなく、
自立した生活のための職業の訓練も行っている。
2001年から、少しだが政府から援助が出るようになった。
1日の食事代が一人当たり9000ドン(=450円程度)、
1日4回の食事をするようになっている。
↑弟子入り志願中
“平和村”という名前は、
特徴的なこの施設の建設時の思いが、
そのまま表現されているのだ。
とにかく直面している問題は、経済。
ドイツのボランティア団体からの寄付は激減し、
志があっても、低賃金重労働のため、
職員の確保が難しい。
海外からの訪問客は日本人が圧倒的に多く、
日本ベトナム友好協会からは多大な寄付や援助をしてもらっているとのこと。
医療技術の提供もその大きな貢献のひとつだ。
女性の院長のフンさんの言葉は、
だからと言って寄付を募るわけでもなく、
何かを求めているといったものでもなかった。
ただ訪れてくる人たちが、
実際に目で見て、触れて、考えることだと、
その視線が語っているように思えた。
そのあとに、校庭や教室の見学をしながら、
そこらへんにいる子どもたちと遊んだ。
ハノイ大学の18歳の学生たちもボランティアに来ていて、
全体的にやたらに明るく元気な雰囲気が漂っていた。
この施設の特徴を知らなければ、
日本で言う養護学校との違いが、
そんなわからない気がした。
ひとつの現実に触れることができて、
本当に良かったと思った。
ハノイの観光は一切できなかったけど、
ここを訪問できたことで、
すべてチャラにできるな、と思った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さて、
がラット雰囲気が変わって、
お昼ごはんは青年劇場の代表のフンさんの家にご招待。
車で着くとそこは・・・6階建ての豪邸。
中に入ると数匹の犬がお出迎え、
大型犬も檻にいる。
家の中を通り過ぎると裏には鳥小屋があり、
ガチョウやら何やらが、大騒ぎ。
何だ、ココ。
家の中にエレベーターがあって、
まぁ、どの部屋も豪華。
演出家って、そんなに儲かるのか・・・。
劇団の代表としては公務員なので、
そこの給料よりも、
売れっ子演出家としてのギャラがすごい、とか何とか。
いかにもベトナムの手料理を振舞ってもらい、
やたらに若い・・・きれいな奥さんにもてなされ、
うらやましい限りです。
フンさん、すげーおっさんなのに、
嫁は23歳ですから・・・。
劇団の女優さんだそうな。
う~ん、勉強になりました!
さて、劇場に入ってみるとアクシデントが・・・。
まず、財布を落とした劇団員が一人。
ま、それはしょうがないんだけど、
小道具がなくなっています!!
青年劇場の持ち小屋なので、
大丈夫かと思いきや、あれよあれよ。
調べてみると、ペンライトも3つなくなっている。
はぁぁぁ。
これまでの仕事で、
すごく信頼していたのに、ちょっと残念。
そのことはきちんとコーディネーターを通じて伝えると、
公演中に代わりのものを買ってきてくれた。
どうやら、劇団の人ではなく、
午前中にほかの用事で使った外部の人たちではないだろうか、とのことだった。
でもまぁ、きっとそうだろうなぁ。
だって、ここのスタッフ、
本当に良く働くし、
信頼できる。
公演のほうは、
雨が降ったりして、ベトナムタイム的に10分押して開演。
7割弱の入りかなぁ。
日本の駐ベトナム大使も観に来てくれて、
楽しんでくれたようだった。
印象的だったはロビーにいた日本語を勉強している学生たち。
なんだか、やたらに喜んでいた。
昨日同様に暖かい雰囲気での公演。
終演後の拍手を聞くと、
暖かさに、手ごたえを感じました。
そして、バラシ。
打ち上げも兼ねたパーティーもあって、
大歓迎。
僕は主演の俳優たちと、一足早くこちらに来て、
いろいろ交流した。
思いのほか日本人の参加者も多く、
とにかく楽しんでくれたとの感想を多くいただいた。
平和村で通訳してくれた先生も来てくれて、
短い滞在ながらも、
すぐにでも再会したい人たちが多かった。
使わなかった看板。
副支配人のビンさんの、
一弦琴の演奏もすばらしかった。
歌謡曲が歌われたり、
ダンスタイムになったり、
バラシ組の仕事が終わって合流。
だんだんヒートアップしてきました。
記念品をいただいたり、
ハノイでの公演の大成功を祝うことができました。
なんだかすごい楽しいパーティ。
在ハノイの日本人の方から、
事前にもっと情報がくれれば・・・というお話も聞き、
それはうれしい誤算でした。
文字通り、本当にあっという間でしたが、
ハノイでの公演2日目、
無事、終了。
お国柄とはいえ、
携帯電話とカメラの撮影は、
やはりなくしたほうが良いかな。