空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

見た記事メモ:神戸のアレ、「嫌な人は見なければいい」

2017-12-01 17:12:42 | ノート
神戸新聞 神戸港巨大ツリー 催事後伐採「生田神社鳥居に」 2017/12/1 06:01

 元凶の「西畠清順」は「「応援してくれる人や団体に心配や迷惑を掛けたことは謝罪するが、世間に謝っているわけではない。ツリーを見るのが嫌な人は見なければいい」とも話した

見るのが嫌な人は見なければいい」頂きました、というところか。



 すなわち



 この件を考え合わせれば、この神戸巨大ツリーや仕掛け人の西畠清順を今後排除する、という宣言だろう。

木の行く先が不明な時期に販売が告知されて物議を醸した、木の玉を付けたバングル(腕輪)は同日、実行委に名を連ねる販売元の大手通販会社フェリシモ(同市)が販売休止とした

 これも『ヤバげな仕掛け人のヤバげとわかったアイディアからは退きますから、今後はお仲間扱いしないでください』というふうに翻訳できそうである。

「いやなら見るな」ではフジテレビが有名だが、かるく検索をかけたら面白い文章を発掘した:

文春オンライン なぜ嫌いな人のSNSをわざわざ見てしまうのか? 鈴木涼美さんに聞いてみた。 2017/04/12

批判するための粗探し、自分の方が優っている箇所を探して優越感を得たい、ただ監視したい、心の中で悪態づきたい

嫌いなものを嫌いで居続けるにはある程度の情報が必要ですから、おそらく嫌いな人の近況をみるというのは、その嫌いという感情を絶やしたくないという気持ちがあるように思います。人間、割と便利にできていると私は思っているので、記憶から消し去りたいものは自然と避けますし、そのうちその憎しみの感情も薄れていきます。しかし、終始その人の言動を見ていると、忘れたり気持ちが和らいだりすることもなく、強い嫌悪感を持ち続けられるわけです

そのきっかけがそれぞれバラバラでも、ひとたび嫌いという状態になってからは、おそらくそこにある気持ちはとてもシンプルです。その人の存在を尊び敬うことができないのです

尊べないということは、自分よりも優れた存在であると認めたくないということです

 いやもう、示唆的な言葉が並ぶ。

 まあその、最近、私を冷笑・憫笑らしきもので応対することに決めたらしい例がありまして。でも、そうしていても―あるいは私を陥れる政治闘争を進めても、あまり生産的ではないよ、とは思う。

神奈川新聞 〈時代の正体〉さらばツイッター ある在日コリアンの決別宣言 1 Dec 2017

 類似の心理が働いていそうである。

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