さっぱりわからんね、アクティブラーニングなんて変な英語で言うから、良いの悪いのと言っているみたい。ある問題に取り組むのに、必要な知識を得てから議論するのは当たり前だろうが。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2017年12月1日
意味ないのなは、お題を与えてディベートさせるスタイルのサンデル教授「白熱教室」
いや、つーか、あれを予習も予行演習も事前指導も何もナシ、あるいは全ての学生が意欲に満ち溢れてTAもなにもなしで全てあの水準にいつのまにか達していて、教員の任意のタイミングでふと討論授業をするといつでも全世界にむけて公開する予定のある映像・録音が撮れるらしいと誤解するらしいアレが邪魔…。
…無理ですよすぐにでもするとか。やれといわれれば、まあ丸一年か、少なくとも半年、ソレ向けに練り上げた講義をつくりますけど、討論会を目的に講義をつくるというのも些か本末転倒と思いますね―などと答えた私は、どーも世界の動向をまるっと無視し、簡単にできるはずのことをやってくれという上役の当然・妥当な要請を無下に却下する頑迷なひと扱いされたらしく、もう知ったことじゃないですぅ、という気が。
これもいつも悩む問題。知識が付くならどんな方法でも採用した方がいいじゃんとは思いつつも、キザな言い方すれば、知識のフォアグラになったガチョウを育てたいのではなくて、知識の翼を使って大空を飛べるようにするのが高等教育ではないか?と揺れ動く。
— イワモトヒロユキ (@h3iwamot) 2017年12月1日
そんなわけで、放課後の自由討論なぞ付き合ったりするんですが、なんです、アクティブ・ラーニング担当教員のうち、わりといい数のひとたちは自分の縄張りに閉じこもって出てきませんが、どうされましたか。
active learningの意味がかなり勘違いされて日本に入ってしまったということがあると思う。自分でテーマを決めて、調査し、レポートを書くのもアクティブ・ラーニングなのに、知識のない段階で授業中に自由に討論することだと思われてしまったのではないか。
— Mineo Takamura (@mineotakamura) 2017年11月30日
”自由な討論”をさせて、思いつきのコメントを吐く程度で授業が済むなら、楽なもんですからねえ。
中高の部活におけるしばきあげって1)指導スキルのないひとでもできて、2)支配欲を充足できて楽しくて、3)そんなやりかたでも成長期だからほっといても上手く・強くなっていくから見咎められない、って理由で残ってるだけなんじゃないかと思う。
— Kohei Kawaguchi (@mixingale) 2017年11月25日
こんな論点も関わる側面があるものと思われ、注意すべきである。
私は禁止なんかしない。私語よりマシだし、そもそも自分の講義がスマホよりつまんないというだけのこと。だから、スマホ見てる学生をどうやって減らすかを考えて授業すりゃいい https://t.co/6nO5MWrWdH
— masanorinaito (@masanorinaito) 2017年11月28日
ご尤も。
あるいはスマホ使用を前提にアクティブ・ラーニングですな。私はそうする。時折、さあ諸君、手元のスマホで調べてみたまえよ!とやったりする。不規則発言は授業の肥やしにする。
内藤先生もそうだろう。スマホでさらっと3秒で探せる程度の「反論」なら、すぐさま訂正して、授業本編のための肥料にできる、と確信しておいでだろう。
まあ、スマホ禁止令など出してみるのも、講義のものによっては正しいだろうけど。しかし、学習効率を上げそうなら積極的に利用したい。もしさしたる理由もなくスマホ禁止令だの出して悦に入っているとしたら、それは支配欲の満足程度の意味しかなかろう。
…こういう場合、なんの恨みか、体育教師の横暴ってのが論われる例があるが、あれはあれで理屈に合った合理的な根拠があったりもする。その合理性を説明できない子がそこらで横暴な支配をふるうってのは、別に体育教師に限ったことではないので、この点は体育教師に同情的な私。社会科教師も論われる例が多いな、そういえば。
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