「詳しい事情は分からないながら、ご同僚は私と同じような思いを抱くのではないかなとか(2016-03-24)」「視覚障害を理由とした短大教員の配転命令、「無効」判決の件(2017-04-03)」
しんぶん赤旗 視覚障害理由の配転無効 岡山地裁 「合理的配慮欠く」 2017年3月30日(木)
「山口氏は次第に視野が狭くなる遺伝性の難病で視覚障害があります」
あら。遺伝性の難病か(WIkipedia日本語版「網膜色素変性症」)。しかし「網膜の中心にある黄斑部に病変が及ぶまでには、長い期間を有するため、末期まで視力が維持されることが多い。一般的には進行は極めて緩徐である(Wikipedia)」、「幼少時に既に視力低下などをきたしている場合は30、40代で失明する例もあるが、高齢になるまで視力を保っている例もある。発症から40年間位までは約60%が視力0.2以上を保っている。長い経過の後、社会的失明(視力0.1以下)になる例は多いが、医学的失明(暗黒)になる例は少ない(Wikipedia)」とのことで、『私は遺伝病で、かつ超スピードで進展するはずです!』なんて未来予知ができるならともかく、採用時に特段の申告をしないことのために非難される、とはいかないだろう。
というか、遺伝病のチェックするのはアウトだろう。また、遺伝病だから必ず発症する、とまでは言い切れないだろう。
「視覚補助職員が退職した2014年に短大から退職を促されたため、自費で視覚補佐員を雇用し、短大側も了承していました」
このあたり、「ちゃんと配慮はしたんだよ!」という短大側の主張はそれなりに正当なわけだ。ただ、自費での視覚補佐員というのは、秘密保持の観点からやや好ましくないのは、たしか以前もメモしたとおりではあろう。
ともあれ赤旗も書く「山口氏は「自分らしく生きるためにかけがえのない大学教員の仕事を認めてもらってうれしい。これからもへこたれず本分の授業に臨みたい」と述べました」については、いやまて確かに本分の半分は授業かもしれないが、残りの半分には研究がだな、とはいえる。
―研究教員・教育教員・行政教員なんて分け方をすれば、それぞれに1/3ずつ能力を割り振る必要があるわけで。
行政をするには、書類判読からして困難、となれば…教育任務か研究任務におおいに力を発揮してもらう必要が。
山陽新聞 視覚障害理由の配置転換は無効 岡山短大准教授が勝訴、地裁判決 2017年03月28日 21時49分
裁判長は「授業内容の不備や学生への指導力不足を「補佐員による視覚補助で解決可能。職務変更命令は原告の研究発表の自由、教授・指導の機会を完全に奪うもので、権利乱用だ」と指摘。「望ましい視覚補助の在り方を全体で検討、模索することこそ障害者に対する合理的配慮からも望ましい」と述べた」。ところで研究発表は2010年を最後に出てないのでは、その間の視覚補佐員には一体何を、という厳しい突っ込みはありえる。
「山口准教授は「やりがいを持って人生を全うする上で、かけがえのないものが大学教員。それを認めてもらえた。教員としての本分である授業に戻れるよう頑張る」」。このひとの発言については、各資料で微妙に表現がずれているので、そのまま受け取るには難がある。が、ともあれ、彼女にとって「大学教員」というポジションが非常に重要な精神的位置を占め、そのポジションの実質的意味は「授業をすること」にあるらしいことは読み取っていいだろう。
研究室については「研究室については「特定の研究室を排他的に使用する法的権利までは認められない」とし、学園側の主張を一部認めたものの「研究室変更の経緯が、不当な職務変更を前提としており無効」と結論付けた」とあり、たいへん形式的に処理してあるようにみえる。
配置転換については
毎日新聞 岡山短大訴訟 視覚障害准教授の「職務変更は無効」判決 2017年3月28日 19時38分(最終更新 3月28日 19時38分
「短大は昨年2月、授業中に無断で教室を出る学生を見つけられなかったことなどを理由に、次年度から学科事務のみを担当するよう命じた」
とあり、なんか微妙な表現。「視覚障害を理由に授業の担当から外される」ことを問題にするあたり、この配置転換の名目上の処理がなんだったかは、個人的には気になる。
―私(や、仲間たち)が必要としているのは、研究者としての認知であり、具体的には研究者番号である。だから、「授業の担当からはずされ」、「学科事務」の担当を命じられ、しかし特任助教とでもいう地位で研究者番号がつけばわりと満足だろう(研究室はほしい)。こういうコースだったらわりと納得する。
しかし授業をすることにのみポジションの価値を認めるのなら、授業の権利の剥奪こそ人生の意義の剥奪とみなすことになり、闘争せざるを得なくなる。裁判長の発言とされるが「「職務変更命令は原告が教える機会を完全に奪うもの。権利乱用で無効だ」と述べた」は、主たる論点を示唆しているものか。
しかしですな、短大だって認証評価はもちろんあるわけで(資料が上がっている)、「授業、やってるよ!」だけでは通用するまいに。
しんぶん赤旗 視覚障害理由の配転無効 岡山地裁 「合理的配慮欠く」 2017年3月30日(木)
「山口氏は次第に視野が狭くなる遺伝性の難病で視覚障害があります」
あら。遺伝性の難病か(WIkipedia日本語版「網膜色素変性症」)。しかし「網膜の中心にある黄斑部に病変が及ぶまでには、長い期間を有するため、末期まで視力が維持されることが多い。一般的には進行は極めて緩徐である(Wikipedia)」、「幼少時に既に視力低下などをきたしている場合は30、40代で失明する例もあるが、高齢になるまで視力を保っている例もある。発症から40年間位までは約60%が視力0.2以上を保っている。長い経過の後、社会的失明(視力0.1以下)になる例は多いが、医学的失明(暗黒)になる例は少ない(Wikipedia)」とのことで、『私は遺伝病で、かつ超スピードで進展するはずです!』なんて未来予知ができるならともかく、採用時に特段の申告をしないことのために非難される、とはいかないだろう。
というか、遺伝病のチェックするのはアウトだろう。また、遺伝病だから必ず発症する、とまでは言い切れないだろう。
「視覚補助職員が退職した2014年に短大から退職を促されたため、自費で視覚補佐員を雇用し、短大側も了承していました」
このあたり、「ちゃんと配慮はしたんだよ!」という短大側の主張はそれなりに正当なわけだ。ただ、自費での視覚補佐員というのは、秘密保持の観点からやや好ましくないのは、たしか以前もメモしたとおりではあろう。
ともあれ赤旗も書く「山口氏は「自分らしく生きるためにかけがえのない大学教員の仕事を認めてもらってうれしい。これからもへこたれず本分の授業に臨みたい」と述べました」については、いやまて確かに本分の半分は授業かもしれないが、残りの半分には研究がだな、とはいえる。
―研究教員・教育教員・行政教員なんて分け方をすれば、それぞれに1/3ずつ能力を割り振る必要があるわけで。
行政をするには、書類判読からして困難、となれば…教育任務か研究任務におおいに力を発揮してもらう必要が。
山陽新聞 視覚障害理由の配置転換は無効 岡山短大准教授が勝訴、地裁判決 2017年03月28日 21時49分
裁判長は「授業内容の不備や学生への指導力不足を「補佐員による視覚補助で解決可能。職務変更命令は原告の研究発表の自由、教授・指導の機会を完全に奪うもので、権利乱用だ」と指摘。「望ましい視覚補助の在り方を全体で検討、模索することこそ障害者に対する合理的配慮からも望ましい」と述べた」。ところで研究発表は2010年を最後に出てないのでは、その間の視覚補佐員には一体何を、という厳しい突っ込みはありえる。
「山口准教授は「やりがいを持って人生を全うする上で、かけがえのないものが大学教員。それを認めてもらえた。教員としての本分である授業に戻れるよう頑張る」」。このひとの発言については、各資料で微妙に表現がずれているので、そのまま受け取るには難がある。が、ともあれ、彼女にとって「大学教員」というポジションが非常に重要な精神的位置を占め、そのポジションの実質的意味は「授業をすること」にあるらしいことは読み取っていいだろう。
研究室については「研究室については「特定の研究室を排他的に使用する法的権利までは認められない」とし、学園側の主張を一部認めたものの「研究室変更の経緯が、不当な職務変更を前提としており無効」と結論付けた」とあり、たいへん形式的に処理してあるようにみえる。
配置転換については
毎日新聞 岡山短大訴訟 視覚障害准教授の「職務変更は無効」判決 2017年3月28日 19時38分(最終更新 3月28日 19時38分
「短大は昨年2月、授業中に無断で教室を出る学生を見つけられなかったことなどを理由に、次年度から学科事務のみを担当するよう命じた」
とあり、なんか微妙な表現。「視覚障害を理由に授業の担当から外される」ことを問題にするあたり、この配置転換の名目上の処理がなんだったかは、個人的には気になる。
―私(や、仲間たち)が必要としているのは、研究者としての認知であり、具体的には研究者番号である。だから、「授業の担当からはずされ」、「学科事務」の担当を命じられ、しかし特任助教とでもいう地位で研究者番号がつけばわりと満足だろう(研究室はほしい)。こういうコースだったらわりと納得する。
しかし授業をすることにのみポジションの価値を認めるのなら、授業の権利の剥奪こそ人生の意義の剥奪とみなすことになり、闘争せざるを得なくなる。裁判長の発言とされるが「「職務変更命令は原告が教える機会を完全に奪うもの。権利乱用で無効だ」と述べた」は、主たる論点を示唆しているものか。
しかしですな、短大だって認証評価はもちろんあるわけで(資料が上がっている)、「授業、やってるよ!」だけでは通用するまいに。
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