あっ、それいい!@neco_nyanta @kenichiromogi そうですね、そんな差別主義者と入浴したくないって人も一定数いるだろうから、差別主義者は入浴お断りにすればいいですね。 (ぶーめらんw
― 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 6月 17
これからはこの貼り紙で行こう! 「当浴場では、他のお客様のご迷惑になりますので、タトゥー、刺青のお客様は入浴すべきではない、不快だ、断られても当然、自己責任だ、とお考えの差別主義者のお客様のご入浴はお断りしております。みなさまのご理解、ご協力をお願いいたします。」
― 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 6月 17
貼り紙、つくった。全国の温泉、公衆浴場関係の方、ぜひ、ご活用ください!!!! pic.twitter.com/muPpReF1jx
― 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 6月 17
あのさ、あの貼り紙は、差別主義者に対する「皮肉」、「コメディ」だと読み取れないで、「え?マジ、差別主義者はお風呂入れないんですかあ」という反応する人がいるんだけど、どうしたらいいのでしょうか。最低限のリテラシーって、仮定してもいいよね?
― 茂木健一郎 (@kenichiromogi) 2014, 6月 17
…私には、ある種の反差別主義者に対する皮肉、コメディ、おちょくるネタにも見える。
あるいは、自爆芸に見える。「押すなよ、絶対に押すなよ!」という。
『俺は刺青が嫌いだ。刺青をつける者、そのような者を支持する者をこの世の果てまで追い詰め排除する!』
と主張する者と
『俺は刺青を嫌う者が嫌いだだ。刺青を嫌う者、そのような者を支持する者をこの世の果てまで追い詰め排除する!』
と主張する者とは
刺青に対する反応の方向が違うだけで、論理の構造は同じだ。
『俺は差別主義者が嫌いだ。だから差別主義者を差別的に待遇してやる』
というのは、
『うん、それ差別だよね?』
という突っ込み待ちだろうと。
勿論、おそらく茂木氏が想定したように、『君の偏狭な常識だけで物事(この場合、お風呂屋さん)を運用してはならない。その態度は、世界の常識から判断すると、差別というものである。つまり君は、君の考える君の日常を一歩離脱すると、このような差別を受ける可能性があるのだ』という教育にも聞こえる。
お風呂に入れるかどうかという、すっごい基礎的な人権に関わるあたりで攻める点、ひとにその日常を問い直すところから哲学を始めさせる、たいへん教育的な切り口ではある。
が、無駄に攻撃的で、教育効果はだいぶ減殺されているかなと。
ところで元ネタ氏の「…(ぶーめらんw」というのはなかなか意味深でありえて、”同じ論法がこっちにも帰ってくるよね?”という指摘でもありえる。茂木氏がノッてことをした結果、茂木氏にもブーメランが突き刺さることになった(そして、茂木氏が想定する差別主義者たちと同様、ブーメランが突き刺さったことに気付かずにいる)。そこまで読んでネタ提供したなら、相当の策士だなあと思ったことである。
そんなわけで、差別なり人権なりについてアクティヴラーニング的に授業をする際のタネとしてよいかなと思ってメモする。”身近なところから問題を掘り起こす”ことで、”実はそれは(非常に日常的で・皮膚感覚的で・”常識的”であってくだらない問題と見えようとも)我々の社会を根幹で支えている概念に関わっている”ことを理解させ、自ら考える態度を養成していくプランの一例。
…コトは、大きくいって「グローバル化にどう対応するか」(と、地元の伝統・地元の事情との兼ね合い)。直近の大イベントとしては、東京オリンピックをするに際して、外国人旅行者が銭湯、リゾート地のプール、海岸で楽しめるかどうか。その点を捉えて、刺青の者の自由を制限するコードについて
『お客様に不快な思いをさせるのは、”おもてなし”としてどうか』
…と問題提起するのがもともとの課題か。
アクティヴラーニング的講義をどう進めればよいか、イメージはつかめるし、10時間ぐらい考えれば1駒分の講義のシナリオを書けそうで…まあ効率としては悪くないが、難点は:1. 直接ツィートを引用したりするのは、いくら相手が有名人だからって晒しになってあまりよろしくない(リアリティには欠けることになるが、”例題”に仕立て直せばよい話だが…今度は『せんせーぱくりはだめですよー』とかいわれる恐れが)、2. 『ハーバード白熱講義』みたいなことをするには、うちの学生は大人しすぎる(発言を引き出す方法については対案が、まああるが)。3. 時期的な問題もある。最近なら、WC真っ最中の今こそやりたい話だが、講義の予定がこの話題をするに相応しい箇所まで進んでいない。
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