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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

訃報:Mohamed Amin Aden Abdulle

2009-12-04 22:22:44 | ソマリア関係人名録
Sh. M. Network Shebelle’s reporter lose his life in suicide blast in Mogadishu  12/3/2009 11:23:00 PM
By: Hassan Osman Abdi “ Fantastic”

 Shabelle Media NetworkのリポーターMohamed Amin Aden Abdulleは12月3日,モガディシュ南部のShamoホテルで,自爆テロにより死亡した。25歳だった。
 数多くの著名人,権力者が死亡しており―世界にとって,彼の死は「報道活動に従事中のジャーナリストの非業の死」以外の何物でもない。

 いや,物の数として扱われただけ,彼の存在は世界に意味を持ったのだと,そう言うこともできるだろう。つまりこれは,世間にその名前が通ることを価値と認める価値観からする評価だが。もしこの見解を良しとしても,それは一人のモハメドの死を思ったことにはなるまい。

 ああ,どう言えばこの気持ちは伝わるかな,僕は「ジャーナリストが死んだ」と言うのではない,「Mohamed Amin Aden Abdulleが死んだのだ」と言いたいのだ。

 Mohamed Amin Aden Abdulleは,爆弾の破片が頭部に中り,それで死んだ。Shabelle Radioの全スタッフはShamoホテルに押しかけ,死体(と人体部品)の山の中から,自分たちの同僚を見つけ出し,連れ出し―そして埋葬した。

 Mohamed Aminは25歳だった。彼はジャーナリズムの世界に,2006年に入った。最初はジョウハルのRadio Jowharに勤めた。モガディシュのTV局にも縁があり,2年前,ジョウハルからモガディシュに移動し,Somaliweyn Radioに勤めはじめた。そうして2009年中ごろ,Shabelle Radio/TVに参加したのだ。

 彼はプログラム・プロデューサーであり,首都のニュースを担当した。彼が死ぬに至ったこの事故は,その仕事に従事している最中だったというわけだ。

 Amimの父Aden Abdulleは嘗てのソマリア国軍兵士であり,最近Martini病院に中った迫撃砲弾で死んだ一人だった―そこはエチオピアとの紛争(1977年)で廃兵となった者たちの住処だったのだが。

 Mohamed Aminの母は早くに死に,彼は彼の兄弟のなかでたった一人の成人the only elder sonなのだ。彼はただ一人で弟と妹とを養っていたのだ,ジャーナリストとして働き,様々な困難に当たりながらも。

 ソマリ人の多くは亡きMohamed Amin Adenの親族に心からの哀悼の意を表し,また事件で死亡した諸氏がその楽園で休めるよう,アラーに乞うのである。

 また私も同様にMohamed Amin Adenの死を悲しみ,彼の魂が彼の神に嘉せられるよう祈る。ジャーナリストの死に思うのではない。Mohamed Amin Adenを思うのだ。ひとりの息子であり,兄であり,父を亡くした者であり,母を亡くした者であり,また自分も先立って跡に扶養すべき者を残した者として。

 そしてまた―私であったかもしれない者として。

関連:「Shamoホテルの自爆テロの件」,「廃兵院への警察派遣をめぐって

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