空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

to 保守派蛙のかみ合わない会話

2012-03-20 21:44:43 | Weblog
@hilowmix 「保守派蛙のかみ合わない会話
私の説明か受取かたが下手なのかなあ…。

 相手に受け取る気がなければどんな説明も届きはしませんが。

 twitterは短文に過ぎ,定義が云々という難しい話をするのには向かないだろうし,口頭での話でも,ある発言の前提となっている諸条件が共有されているなんての,稀でしょう。

 うちの研究室であった実話ですが,夏に

A「なんかこの頃,元気が出ないんですよ」
B「にんにく喰え,にんにく」

 とゆーのがあったそうですが,その後,AはBを完全に無視するようになった。なぜかというと,人生の悩みに悩んで元気が出ない自分ににんにくを勧めるだけとは,なんという食欲主義者だ,語るに足りん! …ということだったとか。
 …元気が出ないんです,の一文でそこまで読み取れというのはいくらなんでも無茶じゃねえかとはBの言。

 そこで,『あれーなんか僕たち,話がかみあってないね?』と思った時には,まず前提条件を確認してみてはという感。あと言葉の使い方とかな。「懐疑する」ことを即座に「否定する」の意味に取るような国語力のひとを相手にした場合,残された道はどこにあるだろうかとか。

 …まあその,マスター,「受け取り方が下手」はまあ,あなたにも当てはまりましょうが。相手さんの「保守派」の定義は,会話の冒頭に示されていますよね。大くくりには「自国民や自民族が大事な人」で(,しかし必ずしも民族主義とは定義できず)「国家とそれに忠誠を誓う国民を護る」ことを意図するような人(たち)。端的には「ネチズンあたり」にいそうな人(たち)。

 彼にとっては,特に後者の定義は非常に抽象性の高いものである。それ以外の「保守」はありえないような。

 ところで

理性・知性を懐疑し、歴史・経験に学ぶのが保守です。歴史は無数の先人による選択の積み重ねであり、それを推進していくのが保守。少数の知者による「科学的・合理的」な富の再分配には批判的というのが基本でしょう

 これは恐らく相当教科書的・辞書的な保守の定義と思われますが(とりあえず手元の哲学事典など見てみた),しかし相手さんにとっては,それは『自分の考える保守の要件:国民』が入っていない以上,恐らくとても受け入れることのできないものであり,また現に(彼の目の前にいる現実的存在としての)「保守」に適合しない以上,現実的なものではそもそもありえない。
 では何ものかと言えば,政治の文脈にはない,寧ろ哲学的存在ということにでもなろうか,だからあなたは「経験論者」と呼ばれたのだろう。

 だから

じゃあ、あなたのいう保守派とは具体的に何でしょう?

 具体的な存在として摘出せよというわけだ。これに対して

繰り返しになりますが、理性・知性を懐疑し、歴史・経験に学ぶのが保守です。極論を言えば、「国家への愛着」は必須条件ではありません。

 と定義を述べれば

あなたの主張する考え方は経験主義っていうもので、保守主義とは全く関係ないものなのだが、何が「保守」なの?

 と返される。相手さんの「保守」の定義には「国家への愛着」が必須なのだ,恐らく。

 では以下,少々何かソースに頼りながらやってみよう。青・太字は「平凡社哲学事典 1971年版」の1305r,「保守主義」からの引用:

政治権力の安定化は同質者からなる政治社会の側の同意と選択を基礎とした場合にのみ可能であり,したがって政策内容が被治者に納得と満足とを保障するものでなければならないのが,近代政治の論理である

 近現代の政治は基本,民主主義であって,社会契約を結んだ同質者たちが代表者を選定,この代表者たちが政策を決め,統治する。代表者たちが被治者たちの期待を裏切れば,まあ落選し,統治者たる地位を失うのだ―というわけだ。

 ところでこの「同質者」たちは,数量的に拡大してきたのが歴史の経験である。絶対王制から民主化へ,制限選挙から普通選挙へと動いてきた。そうすると

政治社会のなかにたえずより下層の被治者を編入し,かれらに,社会的価値を配分せざるをえないのが,近代政治の運命である

 といわれることになる。たとえば元首相であろうとも,投票所にいけば一票を行使できるだけの存在に過ぎない。我々はそんな具合に(この場合,選挙権という)社会的価値を配分されている。

この過程で,在来の価値配分関係の飛躍的平準化が日程にのぼると,現在の配分関係の現状維持を求める政治勢力がしばしば登場する。この勢力が…本来の意味の保守主義である

 価値配分関係の 飛 躍 的 平 準 化 を求める勢力に対し,現状維持を求めるのが本来の意味の保守主義と言われる―具体的な存在を想起すればいい,全人民の完全平等を要求するのは共産主義だろう,これに対抗した勢力は保守主義とよばれたのではなかったか。なるほど,現実に適合するなあと納得してもらえるだろう。

 さて,では,保守主義とは一切の価値配分関係(生産関係とかいってもいいかもしらんが)の墨守のみを言う勢力かといえばそうではなく

それが具体的には漸進的改良主義から強圧的反動主義にわたる広範な分化現象をみせるのは,在来の価値配分関係あるいは在来の政治社会の安定度に大きな差があることに由来する

 まー保守主義にもいろいろあるよねーというわけだ。
 だからまあ,革新的技術だろうと,それが在来の価値配分関係を劇的に覆すようなものではなく,寧ろ現行の社会をより富ませる可能性があるものならまあまあ積極的に取り入れていくのが保守主義者の取る位置だろう。だってやっぱりより豊かになりたいしさあ。

「革新だから嫌だ」というのは,もう保守主義,関係ない。

 さしあたり古い哲学事典の定義からみていくと,まあこんな感じ。

 でまあ,私,思うんですけど。
 …「右からの労働問題」で,同胞日本人(あるいは同じ日本国の契約を構成しているはずの平等であるべき日本国民)を搾取し過労死で死に至らしめるような反社会的企業を糾弾し,(そういうくくりで)自国民・自民族を大事に思う政治運動…って,民族主義的色彩を帯びた一国・一民族内社会主義ないし共産主義革命運動なんじゃねーかなー。

 だってさー,その「反社会的企業」のなかのひと(トップ層)って,やっぱり,(少なくともその多くは)日本国民よね? いや調べたこともないけど。彼等が断罪されるべき理由は,同胞労働者を搾取しているところに求められているわけで,…彼らから(不当に蓄積された)富を(たぶん国家が)没収し,(これまでは収奪される側であった)「国民相互の扶助」が実現されるべきだ…

 …社会党的な物言いの気がしますが,どうか。

hilowmix? @hilowmix 「うーん。概念の定義について相違があったときに、参考としてWikipediaを参照するのは「ソースはWikipedia」の類に入るのだろうか。仮にそうであれば、なにを参照する、参照してもらうのが良いだろう。」(2012年3月20日 - 19:30)

つ 「ではあなたによる定義を聞こう」

 Wikipediaの記載内容をソースに議論するなんてのが避けられるのは,まず第一にその品質管理ができていないからではあるまいか。Wikipediaだろうがなんだろうが,参照に値するものは―その水準に応じて―参照するとよいと思う。まあ学術論文には使えない(使わない)ものはいろいろとあるが。

「Wikipediaである」という属性のみからその有用性・議論の参加資格を否定するなら,例えば学位の有無で切ってもいいんだな?ということさえ言えなくはない。うわすげえ楽なルールだなおい。

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