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空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

女生徒の髪染め問題(2)

2017-10-29 09:38:44 | Weblog
 前項の続き。流石に教育者としては多少興味は持つ。なんでこんな終わった話を大々的にやってるんだというあきれ返り要素が大きいが。



 今回の場合、生まれつきの茶髪なので、これを染めさせること自体が既に校則違反。



外見だけでもちゃんとしろ!外見で判断されたら馬鹿らしいだろ!

 なので、髪を真紫に染め上げているようなひとはバカ丸出しに見えるので、外見だけでもちゃんとしろ!というのは真っ当な意見ではある。デーモン閣下だって、全力で「自分は悪魔です」と主張するわけだし、あれでは事務職はとおるまい。




ちなみに何故数少ない黒髪出ない者に目が向くのか不思議だね。大多数は普通に黒くしてるのに

 私は黒髪だが、意識して黒髪にしているわけではない。加齢と共に白髪が数本、入るようになったが、これを黒くする努力をしないと私は社会人失格であろうか―とまあ、超単純な話なのだ。なんでこんなに無駄な、20-30年前に終わった話を延々と、無駄に我をはっていけるのか―その精神力はたいしたものである。



 …これだけで済むように、数十年前にアレコレやり終わったあとなのである。それをいまさら繰り返した無知無分別が指弾されているだけなのだ。



古臭くとも現場は私の書いた通り」とあるが、その見た現場の具合はどうなんじゃろ、とか。「生徒心得を理由に指導が矛盾とかわけのわからない」こととやらを、数十年前に、『ああ、天然赤毛なら、それを染めさせるのは、髪染めを禁止する校則と矛盾するなあ』と社会的に納得したはずなんだが。




 なら黙れ、ということに。「本人は良かれと思ってやったこと」であれば良いことだったのだ―という、大変素朴で問題が発生しやすそうなアレを出す辺り―






 しかし髪染めの一件に限っては、我々が既に知るように、ビーバップハイスクールとかの時代に問題化し、『髪染め禁止ってんだから黒く染めるのも禁止ね』の極めて単純な形式的・実質的解釈でクリアしたはずなのである:



 流石にこういう感想にもなる。「もう昭和じゃないとか」は見事な表現であって、概ね言葉通り、昭和の遺物の復活と言っていいだろう。

 それがなぜ復活してしまったのか、その”社会的圧力”はなにか、そちらを問うてもよいかとも。



 これがちょっと謎。「報道しない自由」ともあまり思えない。
 それこそ、教育委員会などが「行き過ぎた指導でした、熱心すぎたアホの子でした、懲戒しときます」とさくっと言ってしまえば、ここまで大問題にならずに済んだだろう:

朝日新聞 「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴 2017年10月27日11時33分

大阪府教育庁は朝日新聞の取材に「事実関係も含め、係争中なので答えられない」とした

 しかし

MBSNEWS 「金髪外国人でも黒に」茶色の髪の女子高生に黒染め強要、府「事実と異なる点もある」 10/27 19:48

一方、大阪府側は27日の第一回口頭弁論で請求の棄却を求めました。大阪府教育庁は、取材に対し「原告の主張は事実と異なる点もあるので、今後の裁判で明らかにしたい」としています

 …うん?
 朝日では、教育庁はノーコメント。MBSでは「「原告の主張は事実と異なる点もあるので、今後の裁判で明らかにしたい」」。朝日はこれを、実質的な言葉がなかったことで、完全ノーコメントのように伝えたわけだ。しかしこの”事実と異なる点”の明言は流石に係争中だから―かもしれないが、そこを掘り下げてこそ、とも思う。

 なお朝日に「高校生の頭髪をめぐっては、色を染めたりパーマをかけたりしていないか見分けるための「地毛証明書」を、東京都立高校の多くが一部の生徒に提出させていることが明らかになっている。府教育庁によると、府立高校で同様の仕組みがあるか否かは「把握していない」という

 とあり、そりゃまあ地毛証明書なんて奇妙なものを提出させること自体、人権侵害ではあろうが、しかし天然の髪・肌色を強権から守るための工夫があるのだ、ということは分かる。

 問題は、「フツー」の黒髪を要求してくる社会的な圧力、”社会的通念”が強固にあるなか、(世界標準的には人権侵害案件である)地毛証明書なんてものを発明してまで、自然の髪色を保護するシステムを発見し、運用し、維持してきたにも関わらず、なんで(一部あほの子の仕業であろうとはいえ)殊更に数十年前の解釈を持ち出して問題化したのか、その「心の闇」「社会の闇」ではないか。

 追加:



 そこで、「せやから能力を伸ばせば、多少は有利やん」という反論を封じる言葉が:



 その「取り繕う」の程度を誤ってしまった例と、今回の問題はそういうことではないかという。

 そして高校の先生自身が、この基準や基準の出来た理由や、背景の理屈を忘れて目先の規定に心奪われ「真面目さを演出するために黒髪を絶対維持するマン」に変化した後の姿がこれ:



 高校の校則から自由になり、髪色を多少明るくする自由を行使した19歳以上をみつけて、『茶髪は不良の証拠!』と思ってしまうあたり、もはや指導の必要・理由を忘れ果てたただのプログラムと化しているわけである。



 これが通る職場がどれほどあるかなー…という。
 うちにイケメンチャラ男風の事務員が転勤で来たが、来てすぐ「あれはどうかと思う」というコメントがむしろ若手からですね。
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2017-10-29 22:37:15
http://d.hatena.ne.jp/geopolitics/20171028#
2017-10-28 黒髪強制に至るまで 大阪教育改革の失敗

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