「研究者は不要」の大学が話題ですが、何を今更感がありあり。おおっぴらに言わないだけで、そんな大学昔からあるし、そんなことは業界の人間はみんな知ってることでしょう。むしろ、「研究志向の人は採用しない」とはっきり言っているだけマシなのではと思ってしまいます。
— 浅野 晃 / ASANO Akira (@akiraasano) 2019年8月19日
表向きの看板として維持するかどうか―という論点もあるかなあ。
我が本務校の場合、研究促進、という看板は維持しているんだ。内部に向かってもそのように言う。が、してほしい研究とどうでもいい研究と、そういった空気はどうもある。学校の種類を考えてくれ、と言われたら、まあその通りだが。
この記事の白眉は4頁のパワポ。理事長はさすが東大法学部出身の弁護士だけあって教員のやる気を無くさせるのに一番効果的な論理を使っている。しかし若い。このやり方で行くと本当に教員にクズしかいなくなることを知るには経験が必要か @gendai_biz https://t.co/76DLVxDsCQ #現代ビジネス
— オッカム (@oxomckoe) 2019年8月18日
このパワポの文言は、「本学は、あくまで教育に特化する 高度な研究機関として評価される大学は目指さない」などというもの。そりゃまあ、それはそれで一定の見識ではあり、「地方水準で大規模」くらいの規模で旧帝大とがっぷり四つに―とは、そりゃあ無理だろう、とは…うん…。しかし「教育に特化」と言っても、どういう教育かと問い直すのも研究の一種であるはずで。
ということで「カリキュラム運営上、目指すべき教育の向上につながる研究活動を奨励する」という言葉の内容が問われる。その「目指すべき教育」とはなにか。上層部から事細かに指示するのでなければ(そしてそれをしようと言うなら、上層部自体があまりにも大規模化しすぎる)、それはすでに教育研究なのだ。
…「従来の日本の大学に見られる典型的な「研究者教員」を望む人は、今後、本学とのマッチングはない」ともあるが、まあ…そんな典型的とされる研究者教員なるもの、そう典型的といえるほど存在しただろうか、とも…まあ…。
…私だってそぅではないはずだものな。博士論文から専門を変えること、既に三度。本務校教員(異分野)との連携は複数。かつ教育研究論文も展開を始めた。これで典型的な研究者教員と言われたら、たまったものではない―とは言いたい。まあ、主観的な判断ではあるが。
僕の所属校は、スポーツがすごく強いが、絶対にこのようなことを教員に言わない。見識が違うということだろう。
— オッカム (@oxomckoe) 2019年8月18日
しかし「研究する教員はいらない,教育する教員だけが欲しい」と考える大学は,そういう「教育だけをする大学教員」をいったいどこの誰がどうやって養成して送り込んでくれると思っているのラジかね。
— PsycheRadio (@marxindo) 2019年8月18日
「自分が研究する権利だけを言い立てて教育も学務もなにもしないようなヤツ」を排除したいという気持ちはわかるのだが、①そういうのの残存は、あったとしてもじきにおおむね消滅する、②専門研究論文でさえ書けてないと、そのうち大学としての資格に疑義が付く恐れがある、という問題が。
教育だけして、まあ教育論文は書くかもしれないが、と言う程度では、そのうち設置基準を満たさなくなりかねない。ということで、この理事長さんの方針は、今はまだ存在している研究できる教員たちの努力におんぶにだっこ状態の、旧来の資産にただ乗りする方向のものと評価されよう。
しかしなあ、ゼミや授業などで勘のいい学生からふと出てくるクリティカルな質問などは研究してないと答えられんよなぁ。研究してないと教育はできないのだ。あーでも、山梨学院大学の偏差値から考えると中高生レベルの復習が中心になると割り切ってるのかあ・・・ https://t.co/Mj7y7JWdj5
— ろくた (@PL9P8AzyfbuRgNh) 2019年8月19日
そうした復習をさせるなら高校の先生(出身の先生)を呼べばよい。
ところで普通の博士さんというのは、中高の教員免許を必ずしも持っておらず、自分の専門外については能力の保証がない。
私は専門領域の関係上、出身学部の、ざっと5~6研究室分を、学部一般教養レベルまでであればなんとかこなすという格好になっているけど…それも自分の研究が一応土台になっているわけでねえ…。
スタッフ不足のせいで、狭義の自分の専門だけ教えていれば済むなんてことはあり得ない(せいぜい大学院の授業の一部ぐらいだろうか)大概は自分の研究に結びつかないことを教えなければならない。つまり研究=教育にはならないので、そのために勉強しなければならない。研究時間が無くなる所以である。
— ゆきんこ?? (@kwappa67) 2019年9月10日
下手するとひとり学部状態なのである…。
研究と教育の関係は複雑だし、大学ごとに相違もありうるはず。いわゆる研究型大学に教育教員として雇用されている立場から言うとすると、最近導入されているかつてなかった科目を研究できる体制がはたして整っているのか、実際それを研究している人が教育を担当しているのかというのは聞きたいところ。
— Masashi Kasaki (@kasa12345) 2019年8月19日
関連、Xという分野とX教育という分野は必ずしも同じではない。僕の専門の哲学だと、大学の哲学教育についての専門誌は海外に少なくとも2つあって長いこと続いているし、哲学教育の学会も多い。自分野の教育についての研究(あるいは高等教育一般)は、どれくらいの大学教員が参照にしているんだろう。
— Masashi Kasaki (@kasa12345) 2019年8月19日
…「社会科なんてなくていいだろ」と言い放つ向きがですね…しっかと存するようでしてね…(本格的な)教育研究を志すのも、参照するのも、全く徒労となるのが目に見えておりまして…。…上層部のご希望で担当科目が突如決定されるということもですね…。
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