PhDコースに行く資質の一つに高いレベルの論理的思考はあると思うんですが、それを持ち合わせていたら論理的にアカデミアPhDキャリアは破綻してるシステムとわかるのに突っ込んで行く奴が後を経たないんだからもう狂気の世界ですよ
— Kem落ち太郎 (@oxt23) 2018年9月17日
私程度に「成功」していても(まあ、田舎のサラリーマンとしては上の中といったところか)、こうした言葉に同意したいほどに博士コースは厳しい。
他方で
マジレスで申し訳ないのですが、どの分野であろうとも自信過剰は成功の重要な条件であろうというのと、経済学の場合PhDのキャリアパスは最近わりと広い。 https://t.co/4ao87UqIHL
— 坂井豊貴 (@toyotaka_sakai) 2018年9月19日
そもそも自信過剰くらいでないとチャレンジもできず、チャレンジがなければアタリを引くことも難しい(※ないとはいわない)。そして分野にもよろうが、博士人材の需要がある分野もそりゃあある。
アルバート・ハーシュマンは、人間には成功の見込みを非合理に高く見積もる傾向性があって、そのおかげで挑戦をすることができる、それが経済発展の原動力なのだと論じて、これをスミスの見えざる手になぞらえて「目隠しの手」の原理と名付けていますね。 https://t.co/PQeMq6K9MP
— 玉手 慎太郎 (@Tama_Goldheart) 2018年9月19日
とまあ、ここまで来て思うに。成功するのが分かり切った研究テーマなんての、まあ…あんまり気乗りするもんでもないなあと。自分の科研費採択テーマについて、ちょっと。いえまあ、私あたりでないと扱えないテーマではあるわけですが。私以上のランクの人を投入するほどのもんでもないしなあ、とも思わんでもない。といって私以下だと深刻にどうしようもなくできないな、これ。その深刻さはその当人の出来に依存するけど。
ともかくこの道は不安定で。「ふつうの」人生というのは生き辛い。
事例:男性ポスドク30歳。月収30万円で任期付。同じ歳の彼女と結婚を考えるも,彼女の父は「低収入で不安定な仕事をしている男とは結婚させられない」で破談,別れた。ポスドクはその後2年で専任講師の職を得て,その3年後に准教授となる。未だ独身。 https://t.co/o4wvOdx656
— ポスドク問題とアカデミアを考える会 (@UNIONTELLING) 2018年9月16日
「研究と私,どちらが大切なの?」という言葉に重みを感じることになるのは,その相手を失ってからです。
— ポスドク問題とアカデミアを考える会 (@UNIONTELLING) 2018年9月16日
これはつまり,准教授の妻になり損ねた,准教授の義理の息子をもらい損ねた,とも言える。 https://t.co/B9X7x1o71e
— ポスドク問題とアカデミアを考える会 (@UNIONTELLING) 2018年9月16日
…指導教員からの「大変優秀なのでこの者が安定的な就職を得るのは確実である」みたいなお墨付きを得てから…なんて話もあったな。その後がどうかはともかく。
私についてもそんなもんで。
とにかく私はどこからどう見ても低能・無能そのもののように見えるようなのだ。だいたい皆さん、なめてくる―というか、恐らく主観的には「適切な応対をしてやっている」だとも思うが―のだが、うんまあその無能低能に依存しないシステムでも作るといいぞー、とか思う事案もあったりし―。
…パワハラ仕掛けてきた人の件を思い起こしたりするのである。
正直に言えば、旧分類による文理の全分野がものすごく著量の知の集大成を持っていて、見渡すことも、各分野で最低限必要なリテラシーを拾い出し、それを習得することも難しい。理工学だって、博物学の頃とは違うのだ。しかし、そういった学問の深淵が各分野で存在しているのは知っておいたほうがいい。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2018年9月16日
一番大事なのは、そのような異分野やその専門家に敬意を払うことだ。「自分が知らないから、それは要らないものだ」は、自分の存在意義も同時に否定してしまっている。視野が狭すぎ、タコツボに入り込みすぎている。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2018年9月16日
まあ,知的自殺なのですよねえ。
…それはよくないと信じるので,なんとか救済しようとは思ったのだ,僕は,某老害を。しかし―
他の学術分野を、知りもしないのに、あるいはちょっとかじったぐらいで全否定しないほうがいい。それが知の巨人と付き合うための最低限のルール。わからなければ、肩の上に乗ることはおろか、足元にもしがみつけないんじゃないか。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2018年9月16日
―某老害は,自分こそが知の巨人であると信じ,そのような知の巨人が認めない程度の存在の個別認識など無価値である,という原則を無理に立ててしまった。まあその,私が紫の浜先生を逆神と評したりしたのが悪かったらしく,ともかく私を否定するための規則を見出そうとしたらしいのだ。紫の先生の一件以来、私を論破しようとしてか、次々朝日新聞か赤旗かのネタを持ってくるのがほぼ例になってたなと思い起こす。なんで勤務時間にそんなことの対応をせねばならん。いや彼は彼で、安倍政権を終わらせるための急速かつ断固たる活動を起こすことこそ日本市民としての一大課題と思ったのかも知らんが。
そして、そのような他分野に対する敬意は、つまるところ本人の知的好奇心にバックアップされている。これが枯れたら、知的な成長はほぼ止まってしまう。これはすごく怖いことである。
— 山猫だぶ (@fluor_doublet) 2018年9月16日
―で,知的成長とは全く反する方向に駆け出してしまった。残念だとは思うが,それも人の人生のひとつだろう。
でまあ,私としてはそうやって見送るくらいはしたのだが,彼は逆上して私を社会的に抹殺しようと攻撃を仕掛けてきたのである。うんまあ,どうしようね,と。
学者にできるのはしかし,学術業績で語ることくらいだ。この点では負けるはずがないので,となると,なんであのあほは攻撃を決断したのかなあとか思うと,あのあほのこは本気で非合理の海に飛び込んだのだなあと考えざるを得ず,こまったことなのである。
まあ、その
鬱になって自己肯定感が地に落ちれば、研究やめて別のことができるなんて発想は皆無になります。僕は自分が泳げることすら忘れてました。
— mittel (@Mittelfelder_19) 2018年9月17日
…私の人格を破壊するような面談を5回ほどやっており、順当に破壊されたと信じたものだろうか。
自己肯定感が弱い状態で他者から承認されたり褒められたりしても「気を使われてる」「お世辞言われてる」「からかわれてる」みたいに感じることが多く、自分は駄目なクズだ、という前提をまずどうにかしないと他者とも上手く付き合えない
— いたりんっ(バーチャル) (@italing_math) 2018年9月19日
あーうん、『お前のような人格がなってない者にみんな気を遣ってやっているんだ、誤解するな』との旨、きつく言い聞かしてきた人格者がいましたなー。勝手に思う分には自由だとおもうが。
ブラック労働根絶のため、日本にも必要ですよねえ>勤務時間外の従業員の完全ログオフ権(メールなどのアクセスを遮断する権利)。/欧米の「つながらない権利」が徹底していてすごかった。 https://t.co/24fQGvpUtE
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) 2018年9月14日
休日対応を強いられる従業員が、自分が顧客になったときに相手に休日対応を求めがちになり、こうしてブラック労働が循環していくのでは。
— 弁護士 関口 郷思 (@sekiguchisatosh) 2018年9月15日
この循環をどこかで断ち切らなければなりませんね。 https://t.co/NJwM64Iz7O
22時過ぎでも23時過ぎでも土曜でも日曜でも勤務時間中でも外でものべつ幕なし、という人もおりましてね。対応して返信したりしましたが。
こういうのって本質的にはキャリア教育の一環でさ、たぶん考えるきっかけぐらいは大学で提供した方がいいんじゃないかなとは思っている。全ての指導教員が適切なアドバイスできるとは限らないし、先輩、同期の繋がりからそういうのを考えるみたいな回路も場所によってはだいぶ失われている
— nasastar (@nasastar) 2018年9月17日
どこかで教育を―とも思うが、そもそも歪んでたり、卒業後にダメになったり、投資に失敗して時の政権を恨むようになったり―は統御不可だしなあ。
「自分は損をしている」と感じると扇動に乗り易くなるというのは、別のケースでも見られました。
— 片瀬久美子@道民 (@kumikokatase) 2018年7月26日
この解析は思いつきでやってみたのですが、なかなか有意義なデータが集められのではないかと思ってます。https://t.co/9IPRD6SqrC
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