TENZANBOKKA78

アウトドアライフを中心に近況や、時には「天山歩荷」の頃の懐かしい思い出を、写真とともに気ままに綴っています。

「五竜号」慰霊碑へ

2021年03月04日 | 山(県内)
林道多良岳横断線は通行止めとの看板


「通行止め」の横に「五竜号の碑」の看板が立っているが、これは昨年まではなかったものだ。
これに関する記事が新聞に載っていたのを思い出しここを訪ねることにした。

林道を走ってすぐの国立諫早少年自然の家のキャンプ場との分岐


これ?(真ん中の道)


ここは行く手が3つに分かれている。


ここの指導標が真ん中を指しているのか左を指しているのかで迷う。(一番右はキャンプ場)
「あと600m」なら仮に間違ってもたいしたことないと、自分の勘を信じて左を行くことにした。

左の道 「深海川ショートカット」?


実は、この道なら車で行けそうと車で行こうとしたのだが、軟弱N-boxはこれくらいの轍で腹を擦ったのであえなく徒歩で…

あえなく林道の路肩に止めたN-box


歩く 看板があった! 勘は当たった! 「あと220m」


歩く あと120m


歩く 


リーチか?


見えた!


あった!


横に建立の趣旨が刻んであった。


以下は「長崎新聞」より引用したもの
「『五竜号』は第2次世界大戦中、当時の大日本航空に所属、旧陸軍が借り上げていた。1944年2月12日、台湾から福岡の飛行場に向かう途中、五家原岳に墜落。軍人7人と乗員5人が死亡し、地元の山林組合が68年、山林内に慰霊碑を建立した。」

碑には「(略)此の霊地を汚さざる為深海地区民相計りこの塔を建立す」とあった。

この日が立てられたのは昭和43年と反対側の面に刻んであった。


去年まではなかった案内板の設置について
「77年前の2月12日、長崎県諫早市高来町古場の五家原岳中腹で墜落した軍民共用の航空機『五竜号』の史実を伝えようと、同町の旧青年会OBでつくる『あけぼの会』(吉田壽博会長)は12日、同町の山林内にある慰霊碑までの案内板を設置し、犠牲者12人に黙とうした。」(「長崎新聞」引用)

私も碑に静かに祈りを捧げた。

林道多良岳横断線のその先は確かめることはできなかったが、今回はここまでで引き返した。
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