諫早の六地蔵石幢を紹介します。
六地蔵は子どもの頃から知っていましたが、「六地蔵石幢」を知ったのは今年の10月のことです。諫早市美術歴史館主催の史跡巡りで学習しました。簡単に言うと、次の写真のように、六つの地蔵をコンパクトに収めた石灯籠の形をしたものです。


初めて六地蔵石幢を見たのは、10月2日にあった湯江地区の史跡巡りのときでした。
それが下の写真です。

左側の石の塊がそれです。

何が何やら分からないほど摩耗しています。
この六地蔵は、湯江の和銅寺近くの通りにありました。

そのときは説明を聞いても「ふうん」で流していたのですが、11月の末に、佐賀県神埼郡にある二比山護国寺できれいな形で残っている六地蔵石幢に出会いました。
そのときのがこれです。


(説明板の永正14年は、西暦に直すと1517年)
そして12月4日。今度は小野地区の史跡巡りで、複数の六地蔵石幢を見ました。


写真は、小野の天満宮ですが、ここに4基の六地蔵石幢がありました。
この日の見学で先生の説明を聞き、六地蔵石幢への関心が一気に高まり、後日、この小野地区をもう一度じっくり見て回りました。さらに、諫早市内に残っている他の六地蔵石幢も訪ねて回ったのです。
(2へ続く)
六地蔵は子どもの頃から知っていましたが、「六地蔵石幢」を知ったのは今年の10月のことです。諫早市美術歴史館主催の史跡巡りで学習しました。簡単に言うと、次の写真のように、六つの地蔵をコンパクトに収めた石灯籠の形をしたものです。


初めて六地蔵石幢を見たのは、10月2日にあった湯江地区の史跡巡りのときでした。
それが下の写真です。

左側の石の塊がそれです。

何が何やら分からないほど摩耗しています。
この六地蔵は、湯江の和銅寺近くの通りにありました。

そのときは説明を聞いても「ふうん」で流していたのですが、11月の末に、佐賀県神埼郡にある二比山護国寺できれいな形で残っている六地蔵石幢に出会いました。
そのときのがこれです。


(説明板の永正14年は、西暦に直すと1517年)
そして12月4日。今度は小野地区の史跡巡りで、複数の六地蔵石幢を見ました。


写真は、小野の天満宮ですが、ここに4基の六地蔵石幢がありました。
この日の見学で先生の説明を聞き、六地蔵石幢への関心が一気に高まり、後日、この小野地区をもう一度じっくり見て回りました。さらに、諫早市内に残っている他の六地蔵石幢も訪ねて回ったのです。
(2へ続く)