浦上水源地にも吉井勇の歌碑があるらしい。
ネットで検索しても詳細は分からない。
ただ、吉井勇の歌が出ていた。
とこしへに水清かれと祈らまし蓬莱池を見はるかしつゝ
浦上水源地に行ってみれば何とかなるだろうと安易な考えで稲佐山を後に、浦上水源地へと向かった。
浦上水源地(バス停「浦上水源地」周辺)
適当に散策したが、歌碑は見つからず。
そう甘くないか……
時間があれば湖畔を1周してでも探すのだが、それは次回に持ち越しとなた。
湖畔の散策路
家に帰り、ネットで検索をするもヒットせず。
はたし、本当に水源地に歌碑は存在するのか?
疑心暗鬼になっていた時に、別のところからこの歌碑の件が出てきた。
「孫文・梅屋庄吉と 明治大正長崎事情1」という資料だ。
その中に「長崎を訪れた文化人」の項目があり
「吉井勇」の所にあった!
歌を詠んだ場所は道の温泉。その時の経緯が記してある。
「勇は道ノ尾温泉にも足を伸ばした。そこの料亭の経営者重富きみに案内された料亭2階から満々と水をたたえている浦上水源池を眺めて詠んだ一首が
とこしへに水きよかれと祈らまし蓬莱の池を見はるかしつつ
『蓬莱の池碑』の除幕式は昭和29年(1954)初夏で、浦上水源池の一番奥にある湖畔の広場に重富きみによって建てられた。その後、昭和44年(1969)本蓮寺境内に移転された。」
すべてが解決した。欲しかった情報がすべてあったのだ。仮に、湖畔を1周しても今は水源地には歌碑はなかったわけで、この資料を見つけなかったら大変な徒労に終わるところだった。しかもとてつもないオマケまでついていた。
よし、長崎探訪第2弾は、移転されたという本蓮寺とオマケで見つけたとある場所だ。 ― 終わり ―
ネットで検索しても詳細は分からない。
ただ、吉井勇の歌が出ていた。
とこしへに水清かれと祈らまし蓬莱池を見はるかしつゝ
浦上水源地に行ってみれば何とかなるだろうと安易な考えで稲佐山を後に、浦上水源地へと向かった。
浦上水源地(バス停「浦上水源地」周辺)
適当に散策したが、歌碑は見つからず。
そう甘くないか……
時間があれば湖畔を1周してでも探すのだが、それは次回に持ち越しとなた。
湖畔の散策路
家に帰り、ネットで検索をするもヒットせず。
はたし、本当に水源地に歌碑は存在するのか?
疑心暗鬼になっていた時に、別のところからこの歌碑の件が出てきた。
「孫文・梅屋庄吉と 明治大正長崎事情1」という資料だ。
その中に「長崎を訪れた文化人」の項目があり
「吉井勇」の所にあった!
歌を詠んだ場所は道の温泉。その時の経緯が記してある。
「勇は道ノ尾温泉にも足を伸ばした。そこの料亭の経営者重富きみに案内された料亭2階から満々と水をたたえている浦上水源池を眺めて詠んだ一首が
とこしへに水きよかれと祈らまし蓬莱の池を見はるかしつつ
『蓬莱の池碑』の除幕式は昭和29年(1954)初夏で、浦上水源池の一番奥にある湖畔の広場に重富きみによって建てられた。その後、昭和44年(1969)本蓮寺境内に移転された。」
すべてが解決した。欲しかった情報がすべてあったのだ。仮に、湖畔を1周しても今は水源地には歌碑はなかったわけで、この資料を見つけなかったら大変な徒労に終わるところだった。しかもとてつもないオマケまでついていた。
よし、長崎探訪第2弾は、移転されたという本蓮寺とオマケで見つけたとある場所だ。 ― 終わり ―
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