木々の向こうは、川なのですが、雑草と木々が成長してジャングルっぽく
木々の向こうは、川なのですが、雑草と木々が成長してジャングルっぽく
5月中旬。今日は快晴で日中は、暑い日でした。
空には、雲ひとつないような、空の青が青い時もあって、上を見上げると
心地良い時がありました。なかなかこんな空と時間は、一年のなかで、
少ないものです。
そして気づいてみると、もうすぐ6月。沖縄には、梅雨前線がかかろうとしてます。
今年は、年明けから誰も予想しなかった大変なことが続いて、季節をじっくりと
楽しみ、感じる時間が少なかったので、こんな時の経過は、少々残念です。
ふと庭を覗いてみると、先週まで綺麗に咲いていたツツジの花もすっかりしおれて
しまってました。季節が進むのが余計に早く感じてしまいます。
夕方、鮮やかな空の青さに夕日の薄いオレンジがいい具合に混ざり合って
それに加えて、肌触りの良いくらいの程よい北風。
からっとした風。ほんのりと冷っとした風。昼間が暑かっただけに、余計に
心地よさが増します。
瞬間的な場面のひとコマを目に焼き付けておくことは、スマホのカメラに入れて
後で見るということとは別に、いつでも思い出せる1枚。
子供の時に遊んで夕焼けをみながら帰った長崎の空をふと思い出させてくれました。
日々、コロナ感染の状況は、変化しています。日時で変わる状況をみてマスコミも
連日ワイドショーで放送しています。
非常事態宣言が解除される方向になっていますが、これから手探りでの感染症と
向き合う生活が始まろうとしています。
政府からの宣言が解除されたとしても、実態はまだまだウィルスがいつ繁殖しても
おかしくない状況と思いながら生活しないと、また感染爆発の恐れが出てくる
ことになりかねないと思ってしまいます。
諸外国でも規制緩和で日常生活を取り戻すべく、徐々に移行しています。
そんな中で、一部のところでは、クラスターが発生して、いっきに数十人
数百人の感染者が発生していたりします。その周辺の人たちまで含めると
数千人の感染者に登る可能性もあるようです。
この感染症の怖いところは、平時の生活を普通に暮らしながら、突然罹患者が
増える。仕事、生活をし、特別異常なことをしているわけでもないのに、病気に
感染してしまう。感染者数が少なくなって、平時の日常に戻れたと思ったら
感染症が拡大するのです。人々が油断をしているわけではないのですが、
病魔というものが、忍び寄ってくるのです。
だんだんウィルスの特性がわかってきて、治療薬、ワクチンも時間経過とともに
でてくるのでしょう。そうなれば安心なのですが、それまでは、自粛を余儀なくされる。
そんな日々となりそうです。ある面、人類が自然摂理に試されているように思えます。
多くの人がこんなこと経験したことがない状況で、予測できない状況。
不安定な日常をどう人類は、対処できるのか。まさしく人類への挑戦となりそうです。
切替を早く、テキパキと、というような事を小中学生のころ、聞いてたり
社会人になってからも、そういうような状況がある場合に上司からそんなことを
いわれてたりすことが、時折ありました。
在宅ワークや日々の活動をする際にも、こういうことは、大事で、切替のON/OFFが
うまくいかないと、次のアクションに影響が出て、進みがゆるく、事が運ばない
ことがあります。
感染症拡大で、用心しないといけないこと、暮らしを制限する必要があることなどが
多く、気持ちの前向きさに失速感があります。
基本的なことですが、こういく時こそ、進める事をうまく軌道に載せる為に
気持ちの切り替えをうまくON/OFFするよう心がけようと思います。
Workを進めながら、少しだけ走ってみるとか、10分、15分気分の切り替えで
散歩するとか、平時の活動では、こんな切替が外出する際に歩くとか、移動する
とか、通勤でON/OFFのスイッチが切り替わって、翌日や次のアクションに
すんなりは入れていたようにも思えます。
同じところに長くいると、マンネリ化するし、そうなることで生産性は落ちる
ことは、良くあることなので、あえて自分で切替の術を作ること、大事です。
ここ数日の人の出を見ると、少々危うさを感じます。
経済的なもの、仕事の兼ね合いがあって、動かざるを得ないのは、わかります。
行政、知事が規制緩和に動きだすのも理解できます。国政は国会の議論などを
聞いていると、一つ、一つの判断をデータの裏付けをもとに、自身で確証を
もって、議事をおこなっているのか、怪しくなります。
答弁であったり、議員の発言の様相などを見ていると、よくもまあ、国の議員が
たぬきときつねの騙し合いのような質疑ができるなと感じてしまいます。
日本人の特性と、永田町の世界の流儀が融合して、怪しいやりとりに
見えるのだと思いますが、時代も変わっているので、明確に白黒を説明する
ことをすべきだと思います。3.11の時もそうでしたが、今起こっていることを
現状をデータや根拠をもとに明確に説明することが、人々に対する不安を
あおるというような姿勢が前面にでてくるので、さらによからぬ疑念や
方向性の違う方向に思惑が偏るような感じがします。
国政も、外出する、緩和する、そうするには、こういう条件で、暮らす。
こういうことに注意をすれば外出して良いというような指針を重ねて
説明と理解を求めるよう、行うべきだと思います。慌てている様相も見えて
実施すべきことの優先順位付けもできていないような印象もあります。
なにせ、首相が、自身の意見としてこうする、ああするという信念が伝わって
こないのは、なんなのだろうかと思います。やはり日本は官僚国家で、
官僚に踊らされているのだということもあらためて感じます。
他の国のトップは、もう少し明確なメッセージがあって伝わりやすいと
感じるのは、私だけでしょうか。
最近のWEBサービスは、利便性が良くて、そこそこの性能のPCもしくは
タブレットと早い回線があれば、クライアントのローカルアプリを使わなくても
仕事や個人的な用途に対して、十分使えると思えます。
例えば仕事でMS環境で使うことが多いですが、Office365に入っていれば
Excel、Wordなどは使えますし、OneDriveに保存すれば、ローカルクライアント
上にファイル等は、残らないようです。使い方をちゃんとすれば、ファイル保存を
OneDriveにしていれば、履歴も残らないようです。
同じようなことを、個人用途では、Googlechromeを使って行うと決まったPCを
使わなくても運用はできます。
利用する際のセキュリティ的な運用面は、十分に考えて行う必要はありますが、
大変便利な世の中になりました。
私は、たまに料理を作るのですが、そのほとんどがガス器具を使ってやってます。
TVを見ていて、電子レンジを調理器具として使って料理している例をみて
あっという驚きでした。
電子レンジは、貧粗な使い方しかしていなく、温め、解凍というようようなもったいない
使い方です。
電子レンジを使って調理をする事例をみていたら、いいなぁと感じるものがありました。
ガスを使わないので、火を扱わず、子供にも安心して料理をしてもらえる。
調理の際に使う油の量も少ないですし、使う器具も少ない。
そうすると、洗い物も少なくなる。火の用心をしながら調理しなくても大丈夫。
調理中も手があくなど、良いことずくめ。
しかも洗い物も少なくなるでしょうから、地球にも優しい。
調理も簡単、手間いらずのようです。
自分でも実践してみようと思います。
コロナの感染に関するニュースばかりになっている最近の報道。その中の一つに
アフターコロナというような言葉を耳にします。
特効薬、ワクチンが現状なく、できたにしても、後1、2年は、かかりそうということで
各国の経済と生活の立て直しについては、感染症拡大前と同じ生活に戻ることは
できないのではということで、その変貌ぶりを想定して使われる言葉のようです。
決定的な薬がないなか、コロナの第二波、第三波は、必ず発生するのでしょう。
そう考えた場合に、ある程度、今回のような自粛を繰り返しながら暮らしていく
1、2年になるのかもしれません。
警戒地域以外は、解除に向かって、自粛緩和を勧めている地域の報道の映像
韓国、台湾の緩和された映像などを見ると、元に戻りたいという反動で、人の
動きがあるようにも思えます。
ニュース番組では、感染数、陽性率などが下がってきた情報をよく目にします。
おそらく少しづつ減ってきているのでしょう。そして次は、仕事をするスタイルが
大きく変わる。変えるチャンスということで、極端なことを言っているようにも
思えます。
完全な治療薬ができるまでは、完全に元にもどるということは、期待できないの
かも知れません。経済動向は、元にもどるまで、数年はかかるのでしょう。
この疫病は、人類に壊滅的なダメージを与えるほどのものでなく、いやらしい
形で居座るような感じがあるので、これにうまく対処しながら、元の経済動向
にする事を意識することが肝要かと思います。
ビジネスは、当然ながら在宅ワーク1本で進めるものでもないので、人との接触
頻度を抑えつつ、必要ある場合を見極め適時機会をつくり、代替になる手段
TV会議などにも慣れ、ちゃんとした慣習をつくり、対応をしないとということを
思ったりします。
非常時であるのは、変わりないのでしょう。そんな時に中庸という言葉が頭の
なかをよぎりました。極端なものの見方をして、実態とかけ離れた動きになると
いやらしい流れができたりするものなので、そんな時こそ中庸という考え方は
大事の思えます。
在宅と現場での仕事が混ざっても良いでしょうし、対面しての打ち合わせとTV会議
での打ち合わせが両方あっても良いでしょうし、場所や方法、ツールはいくつも
あって良いと思います。変化した状況や環境に対して、前と変わらない意思疎通の
厚みを持ち続けることが、一番重要に思えます。
GWがおわり、長い休暇明け後の情勢。どのような世情の動きになるのでしょうか。
中国、韓国、ヨーロッパは、自粛を緩和する方向に動いています。日本も都道府県に
よっては、自粛をまだ維持する13の地域と徐々に緩和に向けて進んでいる地域と
別れてきています。
コロナ感染症は、4月7日の非常事態宣言時には、世間の認知としては、実態の
解らない得たいのしれない、見えない感染症で、それにともなう、不安感という
ものが非常に大きく、なにわともあれ自制する方向に向かっていました。
今もその途中で、明確な対処が見えない状況です。
しかしながら、日常生活をもとに戻さないと、暮らしていけない状況が、感染状況の
ほんの僅かな低下とともに、色濃く出てきて、もうひとつの問題、経済活動の停滞と
落ち込みが大きな危機となっています。仕事をしながらも感じていた、4月より
5月、6月が実態のビジネスには、大きな影響が出てくるであろうという嫌な予見が
当然ながら、現実に近づいている。そんな印象です。
バブル、リーマンに時には、大きな経済的打撃を受けながらも、打開するために
民間企業にまだ活力が残されていましたが、今回、いやらしいのは、民間で打開を
したくても、原因が経済的なもので無い、病原菌であるので、行動に規制を要す
つまり、企業活動、経済活動そのものにブレーキをかけざるを得ないということが
大きな痛点です。そこに消費する心理にも不安感が先行するため、経済活動に必要
な適度な寛容さが損なわれる点が二重に負の影響をもたらします。
経済的な原因であれば、企業努力で挽回の策が練れるのですが、今回は、変わる
であろう生活様式、行動変異に応じた企業活動、ビジネスを考える必要が出てくる
ので、具体的な打開策がでるまで時間も掛かりそうです。
民間企業からみると、ここまで大きな自粛規制、疫病による経営的なダメージは
戦後、予測できなかったのではと思います。事業継続計画性からも、今後、あらたな
リスクというものが、たされることになります。株式市場からもこの対策をもっている
かどうかが、企業評価の一つになる可能性もあります。
全くの私見ですが、おおよそのこのクォータの落ち込みは、多くの企業の年間計画
に対し、20から30%の落ち込み、業態によっては、60から70%の落ち込みを
見ざるを得ないと思います。この回復ができたとしても、ここ半年から1年は
企業活動の投資は、停滞する可能性があるように思えます。元に戻せるという
感覚は、今の時点では、持てず難しい状況でないかと思います。企業体力が減退
すると、コストカットをせざるを得ないので、政府は雇用の確保を推進しながらも
実態としては、人件費の削減が出てきて、広告宣伝費を削ることが、最初に
するべきことと考えられるかもしれません。
こんなことを考えると、感染症を横目で意識しながら、生活様式の変化をもとにした、
仕事の仕方、売買、企業活動、国政等、大きな変化をもたらすことになっていく
のではと感じます。