「ちゅうがくいちねんせいの夜」という漫画を思い出した。若槻久美子という人が、学生時代に、大学の漫画雑誌に載せたもので、今、その人はプロの漫画家らしい。今から3年前の夏に、その大学の大きなコンサートが福岡であって、そのときに貰って帰ってきた漫画雑誌に載っていた。左側の青い本。http://page12.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p167420591
眠れなかったら、人の数だけ夜があって、何が起きているのか想像してみたらいい。どうでもよくなって眠れるよ、みたいなことを眠れなくて遅刻した親友に話している。
彼女たちは中1の女の子で、季節は、たぶんGW後、梅雨前。
部活のない放課後は、住んでいる地方都市の、ひと駅向こうのスーパーだかショッピングセンターだかをふたりで徘徊して、夜遅く、といっても、せいぜい9時台だろうが、帰宅する生活を続けている。いまのところ不良ではない。男の子にも関心はない。前月に離婚と死別でそれぞれ父親を失い、母親たちは働きに出るようになって帰りが遅い。それで女の子ふたり、ひとりきりの家に帰りたくなくて、寄り添うように徘徊しているのだ。
その日、列車でひとつ隣の、いつものショッピングセンターは休みだった。不慣れな田舎道をほかのスーパーに向かって歩く。弁当を買ってベンチで食べようとすると、へんな男にナンパされそうになり、無視したが、それを見ていた他の買い物客に「ゴハンは家に帰って食べなさい」と、注意されてしまう。
その家に帰りたくないから、スーパーのベンチで弁当を食べていたのに。
たぶん配偶者をなくした母親も、生活のことや自分のことでめいっぱいで、娘のことが気がかりではあっても、徘徊を止めさせることなどできない。せいぜい夕飯代と防犯スプレーを渡すくらいで。
行き場をなくした彼女たちは、薄暗いバス停の裏手で、おしゃべりしながら弁当を食べる。そのうちに夜になり、そう遅くはない時間だが、地方ローカル線の列車はもうない。夜道を歩いて帰宅する。友人を家に送ったあと、ひとりきりの帰路。中1にして底知れぬ孤独だとか、自分の力ではどうにもならないこととかを知ってしまった。 眠れなかったら関係ない他のもののことを考えればいい。でも、ほかのもののことなんてどうだっていい。
自分の孤独が重くて背負いきれないまま、彼女は夜の町を歩くのだ。
屈託なく談笑する可愛い女の子たちが抱えている眠れない夜について。しかも漫画の中の。
地球上のある一日の物語 LIFE IN A DAYの映画をみた帰りのバスの中で、なぜだかこの話を思い出した。
眠れなかったら、人の数だけ夜があって、何が起きているのか想像してみたらいい。どうでもよくなって眠れるよ、みたいなことを眠れなくて遅刻した親友に話している。
彼女たちは中1の女の子で、季節は、たぶんGW後、梅雨前。
部活のない放課後は、住んでいる地方都市の、ひと駅向こうのスーパーだかショッピングセンターだかをふたりで徘徊して、夜遅く、といっても、せいぜい9時台だろうが、帰宅する生活を続けている。いまのところ不良ではない。男の子にも関心はない。前月に離婚と死別でそれぞれ父親を失い、母親たちは働きに出るようになって帰りが遅い。それで女の子ふたり、ひとりきりの家に帰りたくなくて、寄り添うように徘徊しているのだ。
その日、列車でひとつ隣の、いつものショッピングセンターは休みだった。不慣れな田舎道をほかのスーパーに向かって歩く。弁当を買ってベンチで食べようとすると、へんな男にナンパされそうになり、無視したが、それを見ていた他の買い物客に「ゴハンは家に帰って食べなさい」と、注意されてしまう。
その家に帰りたくないから、スーパーのベンチで弁当を食べていたのに。
たぶん配偶者をなくした母親も、生活のことや自分のことでめいっぱいで、娘のことが気がかりではあっても、徘徊を止めさせることなどできない。せいぜい夕飯代と防犯スプレーを渡すくらいで。
行き場をなくした彼女たちは、薄暗いバス停の裏手で、おしゃべりしながら弁当を食べる。そのうちに夜になり、そう遅くはない時間だが、地方ローカル線の列車はもうない。夜道を歩いて帰宅する。友人を家に送ったあと、ひとりきりの帰路。中1にして底知れぬ孤独だとか、自分の力ではどうにもならないこととかを知ってしまった。 眠れなかったら関係ない他のもののことを考えればいい。でも、ほかのもののことなんてどうだっていい。
自分の孤独が重くて背負いきれないまま、彼女は夜の町を歩くのだ。
屈託なく談笑する可愛い女の子たちが抱えている眠れない夜について。しかも漫画の中の。
地球上のある一日の物語 LIFE IN A DAYの映画をみた帰りのバスの中で、なぜだかこの話を思い出した。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます