猪苗代町翁沢御殿山に建つ、国指定重要文化財「天鏡閣(てんきょうかく)」。明治40年(1907)、『有栖川宮威仁(ありすがわのみや たけひと)親王殿下』が東北を御旅行中、猪苗代湖畔を巡遊した際に風光の美しさを賞し、当時の県知事:平岡定太郎の勧めもあり、猪苗代湖を望む高台に御別邸を建設することを決定。一つには、諸外国からの使臣や貴賓を招く為の目的もあったと言われ、翌:明治41年4月、雪解けとともに起工、同年8月「翁島御別邸」が竣工しました。
ルネッサンスを基調とした木造2階建ての明治洋風建築。建築面積492㎡、延面積927㎡、総高17.9m。外観は変化に富み、屋根は天然スレート葺で八角搭屋付、東翼部を腰屋根、他を寄棟とし、随所に円形または、半円形のドーマウィンドーが設けられています。
西側に玄関ポーチ、その上部にはバルコニー。南側は東西に非対称的な翼部と中央に八稜形状に突出した入口があり、二階部分にはベランダを設け、外壁は目透し横板張りペンキ塗り。窓は上げ下げ窓です。
明治41年(1908)9月、『皇太子:嘉仁(よしひと)親王殿下(大正天皇)』は翁島御別邸に行啓され、ここに5日間滞在されました。その際に別荘から見える猪苗代湖の湖面の美しさを称え、李白の句「明湖落天鏡」に由来して「天鏡閣」と命名。
玄関ホールから奥へまっすぐに通じている中央廊下を境に、南側には食堂・客間・球戯室の順で主要室が、北側には事務室・宿直室・仕人室・厨房などサービス関係の室が並んでいます。暖炉・鏡・帽子掛・シャンデリアは建築当初のものです。
威仁親王薨去後の大正11年(1922)、天鏡閣の近くに威仁親王妃慰子(やすこ)様の静養のため、和風別邸(現:福島県迎賓館)が『高松宮宣仁(のぶひと)親王』によって建てられましたが、慰子妃も翌年に薨去。建物は有栖川宮家の祭祀を継承した高松宮家の所有となり、後に『皇太子裕仁親王・同妃良子女王』両殿下が新婚旅行的な静養(御結婚は大正13年)としてご訪問されます。
第二次世界大戦後の昭和27年(1952)に、天鏡閣は高松宮家から福島県に払い下げられました。昭和36年(1961)初秋、『昭和天皇・香淳皇后』両殿下は、磐梯吾妻スカイライン・裏磐梯御視察に御来県。その際に天鏡閣にご宿泊され、【 なつかしき 猪苗代湖を眺めつつ 若き日を思ふ 秋のまひるに 】とお詠みになられました。
この地での滞在は思い出深かったのでしょうか、近隣で行われた昭和45年(1970)の全国植樹祭の折にも再訪され、当時乗った馬車が展示されていたのをご覧になり、同行された香淳皇后に「あの時の馬車だよ」と昔話をする御姿も記録に残されているそうです。
建物は県職員研修所などとして利用していましたが、建物の老朽化に伴い昭和46年(1971)春に使用を取りやめ。昭和54年(1979)2月、天鏡閣本館、別館、表門が国の重要文化財に指定されたことを機に、翌昭和55年から2年の歳月をかけ昭和57年9月に修復工事が完成。天鏡閣修復後の昭和59年(1984)には、大婚60年を記念して昭和天皇・香淳皇后両陛下の御再訪がありました。
同年7月には『有栖川宮威仁親王』の銅像が、東京築地の海軍軍医学校前から敷地内に移設、再建されました。
別荘から見える猪苗代湖の湖面を鏡に例えたことから命名されたと言われる「天鏡閣」。落成から100年を超え、まばらだった周囲の樹木は建物以上の高さまで成長し、今は館内から湖面を見ることはできません。
訪問日:2015年6月27日
こんにちは!
素敵な建物ですね!
翁島御別邸
真ん中のバルコニー
ここで紅茶を飲むと美味しそう!
コメントありがとうございます。
美しい建物ですよね
ここから見る美しい湖
在りし日の昭和天皇・香淳皇后さまのお目には
どんな風に映ったのでしょうね😊