石川県羽咋市川原町に鎮座される「式内社:羽咋(はくい)神社」。御祭神は羽咋君の祖とされる『石衝別命(いわつくわけのみこと)』。相殿神に『若宮・石城別命(いわきわけのみこと)、母宮・弟苅羽田刀弁命(おとかりはたとべのみこと)、道反大神』を配祀。
【創建は不詳、当地に領民を苦しめる怪鳥が出現した事で『垂仁天皇』の勅により『石衝別命』が派遣され、これを討た後、この地に留まり、当地の農業を奨励したと伝えられます。のち当地を治めた羽咋君一族が、祖先の『石衝別命』を氏神として祀ったことが「当社」の始まりという。延長5年(927)成立の『延喜式』神名帳では、能登国羽咋郡に「羽咋神社」と記載され、式内社に列っせられ、明治42年(1909)、七尾線建設の予定地にあった姫塚上の「三俵苅社」から、『道反大神』を遷し合祀しました。】神社由緒
拝殿は天保3年(1832)の造営、五間の入母屋造千鳥破風、軒唐破風で、ガラスの覆屋の中。深い木々に左右が覆われており、本殿のお姿は見えません。
境内右手に建立される「忠霊塔」
境内は豊かな自然に包まれており、手水舎横では御陵山からの湧き水を頂く事が出来ます。「御陵」の名が示すように、お山は『磐衝別命』の前方後円墳として陵墓参考地に指定されています。
境内には市の天然記念物に指定されたケヤキとサワラの御神木が、濃く葉陰を落としています。鳥居の内、「ケヤキ」は樹高20メートル、推定樹齢600年。羽咋市内最大、石川県で30番目の巨木と言われています。
「サワラ」は樹高21メートル、推定樹齢250年以上。先のケヤキには遠く及びませんが、それでも二世紀半は決して短い時間ではありません。
拝殿内に奉納されていた「唐戸山神事相撲」絵馬。群馬県藤岡市の「土師神社」、大阪府大阪市の「住吉神社」と並んで、「日本三大辻の1つ」として知られる羽咋神社。「辻」とは屋外に設けられた「相撲場」の事で、境内にはすり鉢状の地形の中央に土俵を設けた、天然桟敷の唐戸山相撲辻があるそうです。
土俵四隅にかがり火が焚かれ、伝統作法に則って熱戦が繰り広げられる「唐戸山神事相撲」。相撲好きであったといわれる『磐衝別命』の遺徳を偲び、その命日に奉納される神事。「水なし 塩なし まったなし」の古儀により、大関が決まるまで熱戦が繰り広げられます。この神事の様子は駅前のモニュメントや、長者川の橋柵のプレートにも見ることが出来ます。
同じ長者川の橋柵には、「川渡し神事・長者川渡御」のプレートもあります。『磐衝別命』の御神輿は船に乗せられ、長者川を渡って「八幡神社」の女神の許へ・・。松明に照らされながら川面を進む神輿舟の姿、きっと神秘的に美しく幽玄な世界なのでしょう。
JR七尾線羽咋駅の傍らにあった「三足比咩命(みたらしひめのみこと)・旧蹟」。
「本旧蹟は姫塚と称し、羽咋七塚の一つで、羽咋神社の祭神の妃「三足比咩命」の陵墓であるという。規模は東西20m、南北10mの周濠を持つ円墳であったが、寛文年間に周濠を埋めて小社を建て、羽咋神社の末社とし「三俵苅社」と称した。その後明治31年七尾鉄道の敷設工事によって、社地が開搾された為、ご神霊は「羽咋神社」に合祀。泰澄大師自作と伝えられる石像は、羽咋弥公の墳墓に移して現在に至っている。」現地案内より
参拝日:2015年5月25日