能登國一宮「気多大社」。境内には、本殿左右の摂社以外にも幾つかの摂社が鎮座されています。
「入らずの森」の手前、社殿を持たずに鎮座されるのは「楊田神社」。御祭神は『荒御魂神(あらみたまのかみ)』、または『迦具土命(かぐつちのみこと)』とも称します。
さらに進むと、木立の中に「太玉神社」の鳥居。御祭神は『天太玉神(あまのふとだまのかみ)』。
『天照大神』が閉ざした天岩戸の前に集まり、なんとかお出まし願おうと一生懸命にあれこれ画策された神様です。
拝殿前より神域を守護されるのは岡崎型狛犬さん一対・・・・ですが、しかしこれは・・・!!頭、顔、体と所構わず乗せられた石。特に目を塞ぐように置かれた石、阿形さんの口中に押し込まれた石には悪意さえ感じられます。ご利益があると思っての事かもしれません・・誰かがやった事を真似てかもしれません。が、もしも我が身なら耐えられないでしょうに・・・・・とは言え、人の念が込められている事を思うと気安く石をどける事も出来ず・・目と口中の石のみ、足元に置かせて頂きました。
合格祈願の絵馬棚の向こうに鎮座されるのは「菅原神社」。御祭神は『菅原道真公』。 社殿の手前に見る橋は「合格橋」と命名されており、この橋を渡って合格を祈願します。
参道の途中に奉られる「養老大黒像奉安殿」。内にはいわゆる『大黒天』が鎮座されています。
奉られておいでの『養老大黒』さま。漫画チックなお顔ですが、お大尽の貫禄さえ見せて、手には打出の小槌。
絵馬に書かれた文字は「氣」、「氣多大社」本来の文字から採られています。「氣多」とは読んで字の如く「多く」の「気」の意。2011年の雨の境内、2015年の晴天の境内、どの季節も清々しく綺麗な気に満ちていました。
「気多大社」に隣接するのは、高野山真言宗寺院「亀鶴蓬莱山:正覚院」。『大日如来』を本尊とします。
創建年代は不詳。泰澄大師が伊勢神宮参拝の帰路の夢に「恋しくば尋ねても見よ能く登る一つの宮の奥の社へ」とのお告げを受け、気多大社神宮寺の坊の一つとして創建したと伝えられます。斉衡二年(855)、「亀鶴蓬莱山:気多太神宮寺」の勅号を賜り、以来氣多大社の神宮寺として隆盛しました。
鐘楼の屋根を濡らす雨は音も無く静か。
護摩堂
止まぬ雨は、境内に佇む『弘法大師像』の御身を洗い流し、見上げる私たちに秋の日暮れの肌寒さを伝えます。驚くほど静かに・・気が付けばいつの間にか夕方と呼ばれる時刻になっていました。
最後の画像は、千里浜(ちりはま)海岸堤防の内、船の帆に似せた『大伴家持』の歌碑。能登視察の折、気多大社参拝のため羽咋を訪れた折の歌。
【 之乎路(しをぢ)から 直(ただ)越え来れば羽咋の海 潮凪(あさな)ぎしたり 船楫(ふねかぢ)もがも 】
参拝日:2011年10月14日&2015年5月25日