松林の散策路から見える「西附属邸」は、予想外に普通の佇まい。ちょっとした大店のお屋敷でもこれくらいの離れなどは普通にあったのではないかと思える程、質素でこじんまりとして見えます。
「西附属邸は明治38年、皇孫殿下(昭和天皇、秩父宮、高松宮)の御用邸として設けられたことに始まります。その後数回の増築が行われ、大正11年には現在の形になりました。松林に囲まれた約、10,000平方メートルの敷地に建つ総面積1,270平方メートル、部屋数26室の木造平屋建て和風住宅です。昭和20年7月の沼津大空襲によって本邸が焼失した後は、この西附属邸が本邸の役目を果たすようになり、昭和天皇をはじめ、多くの皇族方 に利用されてきました。」沼津市HPより
内装はほぼ当時のままのものが使われていると言うことで、何でもない場所にも見所が一杯。 たとえば玄関内部の電灯とか、当時は高価であったガラスと、細工鋳物の取り合わせの美しい事。それでいて決して華美でない落ち着いた調度の数々。
少し意外な驚きを感じつつ西庭に面した廊下に立てば、磨き込まれたガラス戸越しに程よいお日様の光が差し込み、足元を優しく包みこみます。
窓越しから見る庭の佇まいは、多分私たちがさっき立っていた辺り。この景色を昭和天皇もご覧になられたのかなと思うと、それだけで美しいものがより美しく見えてくる(^-^) むろん逆もまた然で、人の心理って面白い。
窓越しに見る沼津垣と紅葉
窓の向こうに見える建物、多分棟続きだろうと思うけれど、想像以上に質素に見える。
案内の女性の説明に感心したり納得したり。決して触れる事のないやんごとなき方の往時を偲ばせて頂き、貴重な時間を過ごす事が出来ました。帰り際に三人一緒にと写して下さった記念写真。何度見かえしても懐かしさでいっぱいです。
「西附属邸」を辞して、周囲を少しウロウロ。本当はまだここに居たいのだけど、予定は目白押し。次の目的地で過ごす時間が無くなります。最後は本邸正門前の門番所。
門番所に護られるように存在する「青銅門」。かつてこの場所には、当時の建築技術の粋を集めた御用邸本邸がありましたが、1945年の沼津大空襲により焼失。本邸正門だったこの青銅門だけが残されました。ドイツのゾーリンゲンという街で特別につくられた青銅門。その重厚さや美しい意匠が、失われた本邸の面影を私たちに語り掛けてきます。
木の感じからして「梅の古木」?咲いたら見事だろうな・・・
記念公園のラストは、西附属邸正門の右側に植えられていた「根上り黒松」。樹高20m・幹周4m。推定樹齢は400年。
まるで大地を這う巨大な蛇のように、四方に触手を伸ばす何本もの根。自然が見せる不思議に見送られて、さぁ次なる目的地へ(⌒∇⌒)
訪問日:2016年12月9日