狩野川河口から田子の浦にかけて広がる「千本松原」。松の常緑と白雪をいただいた富士山、そして駿河湾の彼方に沈む夕陽といった美しい自然で知られ、白砂青松100選にも選ばれた景勝地です。
でも二度の訪問にもかかわらず、松の常緑以外、白雪をいただいた富士山も、青く煌めく駿河湾もお目にかかれていません(-_-;)
その一画に建立されているのは、千本松原の恩人と伝えられる『増誉上人(ぞうよしょうにん)像』
「千本山『乗運寺』の開祖で、名を『長円』。天正8年(1580)武田対北条の激しい戦いが行われた時、無惨にも千本松原の松は伐り倒されてしまいました。荒廃したこの地にやって来た旅の僧(長円)は、汐風害に苦しむ人たちの姿を見かね、一本一本お経を唱えながら松苗を植えたといいます。」案内より抜粋
2011年に見た、土砂降りの駿河湾の海岸線・・・・空も海も砂浜も灰色で、心の中までびしょ濡れになった事を突然思い出してしまいました(-"-)。
過去の愚痴はさて置き(笑)、『角田竹冷(つのだ ちくれい)』亡くなる前日の句碑。【時は弥生 瓢(ひさご)枕に 鼾(いびき)かな】
「観海学人(かんかいがくじん)文学碑」と、手前に「魚見の松跡」。「夜道空〇外興 君行且看板松風不動 名月照衣寒観潮〇客吟」。文学碑の方は難解すぎてほぼ解読できませんが・・意味は多分(-_-;)。「夜道を行くのは殊の外興がある。君と歩き風のない松林を行けば 名月に照らされた衣も寒々と見える」・・・何か・・違う(-"-)
千本松原を後にして、沼津市大手町1丁目に見かけた「西周レリーフ」。津和野の西周がなぜ沼津に??。と思ったのですが、沼津兵学校頭取を務めた縁によると聞いて納得。
ラブライブのマンホールを探している時に見かけたお地蔵様。台座の構図がとても特徴的ですがそれ以上の事は不明。マンホールカードとマンホール撮影だけの予定だったのに、それでも何かしら見て来たんだなと改めて思う(笑)
訪問日:2018年11月14日