松崎町大澤、県道15号下田松崎線沿いにある「道の駅:花の三聖苑伊豆松崎」。1991年7月1日にオープンし、1995年8月1日に、県内3番目の道の駅として登録されました。
「花の三聖苑」の名に相応しく、まず入口では直径11メートルの花時計が来館者を迎えてくれます。
敷地内には食事処「天城山房」と、隣接する日帰り温泉「かじかの湯」があり車中泊には最適の立地。 暗くなってからのお風呂探しは、近乱老と三拍子揃ったご亭主殿には、実は大変な苦行なので本当に有難いのです(笑)。
さらに敷地内には、歴史的洋風建築が大好きという私に合わせてくれたかのような素晴らしい建物が二つ。 向かって左が「三聖会堂」。右の洋風二階建ての建物は町指定文化財「旧大沢学舎」。
「三聖会堂」は、郷土の三聖人の業績を中心に、松崎の歴史・文化を紹介する施設。ここでの三聖人は、幕末の漢学者である『土屋三余』。明治期の実業家として名を馳せた『依田佐二平』と、その弟で北海道の開拓に関わり「十勝開拓の父」と呼ばれた『依田勉三』の三人。
午後三時過ぎという事で館内の見学はできましたが、薄暗いせいで内容は今ひとつ。
三聖会堂の近くには礼服姿の『依田佐二平』像と、業績を記した碑。
「三聖会堂」の隣の建物は、明治6年(1873)に建てられた「旧大沢学舎」。
「明治6年(1873)に、大沢村の依田佐二平が私財を投じて自宅内に洋風二階建ての公立小学校「大沢学舎」を建設し開校。大沢村・池代村・小杉原村・明伏村・峰輪村の5ケ村を学区とし、その父母を集め、子弟の小学教育の重要性を説いて子弟を入学させ、会津藩士大島篤忠を招いて校長とし、小学校の授業を開始。以来1889年までの16年間子弟の教育の場となりました。」公式HPより
明治22年(1889)の町村制の施行で中川村が誕生し、学舎は中川村役場に転用されていましたが、1993年に現在の場所に移築復元。 館内には郷土の資料などが展示されていますが、あまりの薄暗さにじっくり見学出来る雰囲気ではなく・・・
翌朝は・・・時間が早すぎる為。当然閉館中(-_-;)
敷地内で見つけた「ムベ」の実。食べると長生きするとの言い伝えから“不老長寿(不死)の実”と言われる「むべ」。その語源は、天智天皇(626~671)が琵琶湖南部の奥島山に立ち寄った際、8人の息子をもつ老夫婦に出会い、「お前たちはなぜ、このように元気なのか」と尋ねたところ、老夫婦は「この地で採れる無病長寿の果物を、毎年秋に食べているからです」と答え、果物を献上。それを賞味した天皇が「むべなるかな(もっともだな)」と言ったことから、「むべ」と呼ばれるようになったと云われています。
2011年の静岡車中泊の旅では、伊豆半島に入って最初の車泊地としてこちらを利用させていただきました。暖かいお風呂で温まり、出たらそのまま車内の寝床に直行できる幸せ・・・・・お隣同士になったおなじ車中泊の方とも仲良くなり、いつもより楽しい時間も過ごせました。
車で旅をする私達にとってこのような施設は、本当にありがたく大切な場所です。
改めて、その折は有難うございました m(__)m
訪問日:2011年11月8日