東海道五十三次15番目の宿場「蒲原宿」。旧東海道沿いには僅かですが伝統的な町屋が点在します。
静岡市清水区蒲原3丁目にある「志田(しだ)邸」。屋号を「やま六」といい、蒲原宿内で米・塩・油等を扱い、江戸後期には醤油の醸造も手がけていました。 主屋は嘉永7年(1854)の安政地震によって大きく被災しましたが直ぐに修復、現在に至っています。
主屋内は店の間・中の間・居間・と続き、「通り土間1列型」の典型的な町屋形式。 しとみ戸・箱階段がある店の間は、今日まで電気を引いた事のない、安政建築そのままの貴重な内装が見られます。
店の間の一角を占める飾り棚には、何世代もの時代を経た幾体もの「天神雛」が飾られています。 上巳の節句(3月3日)は、古くには男女の差別なく、身を清め成長を願う日とされていました。 男の子には天神人形を贈る習慣があり、5月の初節句よりも早く、天神さんを飾り祝ったそうです。
面白いと思ったのは、内裏雛の男雛は衣装も何となく男性らしいのに対し、天神様は、冠に黒いお髭が無ければ女雛と間違えそうな色あいの衣装だと言う事。何時の時代の天神雛なのか見忘れてしまいましたが、それにしても興味深い貴重なものを見せて頂きました。
志田邸の斜め向かいに、ひときわ目を引く薄水色の、瀟洒な洋風建築の建物があります。
街道沿いに建つ「旧五十嵐邸」は、大正期以前に町家建築として建てられた住宅でしたが、大正3年に、当時の当主『五十嵐準氏』が歯科医院を開業するにあたり、町家を洋風に改築。 その後昭和15年ごろまでに、西側・東側部分をそれぞれ増築し、現在の形になりました。
玄関に施された軒蛇腹(のきじゃばら)や、軒下の歯型飾りなど、洋風の意匠は一見の価値あり。この美しい「旧五十嵐歯科医院」は、先の「志田家住宅主屋」と共に、登録有形文化財に指定されています。
これはたまたま町並みの中で見かけた「五十嵐歯科医院」。建物はもしかしてその後の五十嵐邸かな?。
かっては「蒲原御殿」と呼ばれた建物も今は無く、「御殿道」の名称のみが残された街道筋。 往時を物語るのはわずかな文献のみとなりましたが、それでもそれらは確かに存在していたのです。
訪問日:2011年11月12日