島田市大井町に鎮座される「大井神社」。御祭神は『弥都波能売神 (みづはのめのかみ)・波邇夜須比売神(はにやすひめのかみ)・天照皇大神』。それぞれに「水・土・太陽」をつかさどられます。
由緒「創建不詳。三代実録巻11に貞観7年(865)『授駿河国正六位上大井神社従五位下』との記載あり。『駿河記』『駿河志料』に、ある時、現在の川根本町大沢村より流されて島田に祀られたとある。建治2年(1276)8月、島田に鎮座の記録が残る。慶長9年(1604)の大洪水で、島田の街と共に大井神社は現在の元島田の野田山へお遷しされ、その後の元和元年(1615)、御仮屋町に還坐。その後、大井神社上流に民家が広がり、氏子からの請願により、元禄2年(1689)現在の御社地に還座。これに伴い、元禄8年(1695)より神輿渡御が行われ、御仮屋元境内は「御旅所」と呼ばれるようになる。宝永5年(1708)正一位大井大明神と奉称、嘉永7年(1854)に勅宣正一位大井神社と改めた。明治5年郷社に、明治41年に県社に昇格、昭和41年7月1日、神社本庁より別表神社に加列、現在に至る。」大井神社HPより
境内入り口より神域を守護されるのは、昭和13年(1938)6月吉日建立の岡崎型狛犬さん一対。写す位置の所為なのですが、吽形さんの表情が思慮深く優しそうで、岡崎型としては珍しく好みかも(〃∇〃)
参道より拝殿
「大正八年 明治神宮造営御用材の一部下賜を得て、総桧造にて造営」
拝殿前左右より神域を守護されるのは、1998年8月1日建立のブロンズ製の神殿狛犬さん一対。堂々とした顔立ちは三女神の鎮まる地を護るに相応しいお姿。
透塀の内に鎮まられる、文久三年再建の御本殿。
「双竜の清水」
「大井神社の最も古い信仰は、大井川より発生した土地生命を護る水神信仰です。拝殿脇のこの手水は境内地下より汲み上げた清らかな水を使用しております。」
今年の豊年満作 一粒萬倍を祈る「田のかんさぁ(田の神様)」
田を起こし米を育てるお百姓様、収穫したお米は大切に米蔵に納められます。
しゃもじとお椀を持つ神様・・この優しい素朴な神の姿に手を合わせ、人々は豊作を祈ってきました。
神井戸の上に鎮座される「祓戸神社」。『清め祓いの神』を御祭神とします。
神井戸より汲み上げられる御神水
「福寿の手水鉢:江戸時代享保年間、武州多摩川の崇敬者の奉納した手水鉢」
拝殿向かって左手に鎮座される「大井天満宮」。御祭神は『菅原道真公』
「春日神社」。御祭神は『春日神』
「静霊(しずたま)神社」
『国の為に亡くなられた島田市出身の英霊千九百余柱を祀る。』
私たちは、皆様方の尊い命の上にこうして今この時を過ごさせて頂いています。その事を決して忘れないように・・心から感謝を込めて「有難うございます」
「崇敬子来之碑」 「日清・日露戦慄紀念の碑」
「大井恵比寿神社」
出雲大社より『大国主神(大黒様)』、西宮神社より『事代主神(恵比須様)』の御分霊をお祀りしています。
「大井神社・最古の奉納燈籠:寛文三年(約三百四十年前)」
「大井社 元禄二年社号標:元禄二年(約三二〇年前)この年に大井神社は元社地 現御仮屋御旅所より当地に還座島田宿の中心に氏神として鎮座し広く信仰を集め崇敬された」
「大井大明神 奉献燈籠壱対 元禄十六年(1703)約三百年前建立」
江戸時代建造の常夜燈籠、長年の経過による損傷の為一旦解体、島田の宮大工佐野覚氏によって、2004年に再建されました。
「石の太鼓橋・江戸時代正徳三年(三百年前)神輿の渡御の為に造営。両脇の平橋は安政三年(一五〇年前)川越連中が奉納した。」
拝殿から裏参道へと向かう屋根つきの回廊。大井神社の結婚式場「宮美殿」へと向かう、佳き日の通路として使われます。
幸せに包まれた新郎新婦が見るのは、鮮やかな緑に映えて美しい朱の太鼓橋と「御神池」。豊かな水をたたえた「御神池」は、大井神社大祭:鹿島踊り奉納時の進路にもなっているそうです。
回廊の灯篭には「丸千木(まるちぎ)」の御神紋。丸千木は、島田に流れ付いた二体の御神体が「x」の形で河原にひっかかっていた事からと云われています。
「安産祈願の帯塚」
社務所
社務所屋根 留め蓋飾り瓦の玄武
「大井神社:絵馬・島田の帯祭」
奉納「大奴:鹿島踊りブロンズ像」
参拝日:2011年11月14日&2016年12月12日
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御神名一口メモ
『弥都波能売神 (みづはのめのかみ)』、「日本書紀」では『罔象女神』と表記。神生みの終わりに生まれた火を鎮める水神。豊穣をもたらす農耕神。
『波邇夜須比売神(はにやすひめのかみ)』、「日本書紀」に「土神を埴安神と号す」とある。神生みの終わりに生まれた土の神。作物を育む農耕神。