島田市(しまだし)は静岡県中部、志太平野を流れる大井川の両岸に位置する都市です。 江戸時代より東海道の宿場町として盛え、市内を流れる大井川は、江戸の防衛上の理由から架橋を禁止されたため、人足による川越制度が敷かれていました。静岡市、浜松市、藤枝市、掛川市、菊川市、牧之原市、焼津市、吉田町、川根本町、森町に隣接。駿河国と遠江国の境界線である大井川沿いに位置するため、自然地理的にも人文地理的にも、島田市が東西の境界線となっており、島田市から西と東では地形地質も食文化も大きく異なっています。「市の木:茶」「市の花:バラ」「市の鳥:オオルリ」を制定。
キャッチフレーズは「人と産業・文化の交流拠点 水と緑の健康都市 島田」
戊辰戦争が終わり、職を失った将軍警護隊たちは遠江国の一部に広がる牧之原台地の開墾に着手。 これによって牧之原台地は全国有数の大茶園地帯となり、島田市緑茶化計画の発信元となりました。
島田市役所前に設置された緑色のポスト。
日本書紀にもその名が見られ、また箱根馬子唄に【箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ】と歌われた大井川。島田市南2丁目に架かる「蓬萊橋(897.422m)」は、「世界最長の歩行者専用木造橋」として1997年12月にギネスブックに登録されました。
明治22年(1889)、町村制の施行により、志太郡島田町、六合村、大津村、大長村、伊久身村、榛原郡金谷町、五和村、下川根村、初倉村が発足。
1948年、志太郡島田町が市制を施行、島田市となる。
1955年、島田市が志太郡六合村、大津村、大長村、伊久身村南部を編入。榛原郡川根村が町制を施行、川根町となる。
1957年、榛原郡金谷町と五和村が合併、新たに榛原郡金谷町が発足。榛原郡初倉村大字湯日・牧之原のそれぞれ一部が分離し金谷町に編入。
1961年、島田市が榛原郡初倉村を編入。
2005年、島田市と榛原郡金谷町が合併、新たに島田市が発足。
2008年、榛原郡川根町を編入。現在に至ります。
マンホールには、浮世絵に描かれた「大井川蓮台越」が美しく描かれています。
金谷宿川越し場跡「大井川蓮台越えの図」と、「八軒屋橋」のレリーフ
三年に一度の「島田大祭帯祭り」が描かれたマンホール。「鹿島踊」と「大奴」が美しくデザインされています。
帯祭り:大奴の路上タイル
プラスチック製の枡蓋には、簡略化した市章と「市の花:バラ」がデザインされています。
「市の花:バラ」の路上タイル
2005年7月14日制定の市章は「SHIMADASHIの『S』の文字をかたどり、東海道の中心から全国に広がる躍動感を表現し、青は大井川を、緑はお茶を表し、豊かな自然をイメージしています。」公式HPより
仕切弁
消火栓
空気弁
側溝蓋
旧島田市
大正4年10月23日制定の旧市章は【全体は「シマダ」を図案化したものであり、「マ」を四つ組み合わせて、「島」を意味し、それを円で囲んで「田」を表したもので、町章として制定されたものを市制施行後に継承した。】HPより
防火貯水槽
仕切弁
大上水
消火栓
空気弁
旧市章と「旧市の花:銀木犀」がデザインされた側溝蓋。
単に「ガス」蓋を表しているのか、固有の会社の徽章なのか不明。
島田茶PRキャラクター『えい茶くん』は、日本にお茶を広めたとされる『栄西禅師』がモデル。 左手に新芽、右手に湯のみ茶碗を持ち島田茶を全国に広めようと旅をする男の子です。
モデルとなった『栄西禅師』は、島田駅前で黄金の茶葉を高く掲げ、島田茶の存在をアピールしています。
金谷地区で生産される金谷茶イメージキャラクターは『金谷茶のかなちゃん』。旧金屋町時代には「茶子ちゃん」と呼ばれていましたが・・いつの間にか改名されていました(笑)
島田市川根町、NPOまちづくり川根の会のマスコットキャラクターは、フクロウをモチーフにした『チャリムくん』。背中に背負っているのは「お茶カゴ」だそうです。
島田髷を結った浮世絵美人が描かれた「島田市茶葉振興協会」のステッカー。
「島田髷発祥の地」として「島田髷祭」が催される島田市の商工会キャラクター『おしまちゃん』。髪の毛は島田髷。市章入りのかんざしに、お茶のかざりとバラの髪飾り。大井川を表現した水色の着物の胸元にはSL。島田の文字入り法被を着て広報活動に励んでいます。
撮影日:2011年11月14日&:2013年10月14日&2016年12月12日