焼津市北方の山間部、高草山の中腹に、山々に囲まれた隠れ里のような民家集落「花沢の里」があります。はじめてその記事を見つけてから丁度一年を経た2011年、ついにそのの入り口まで来ました。駐車場に車を入れたら、そこから先はひたすら徒歩で坂道を登ります。
奈良・平安期には、静岡と焼津を結ぶ主要峠道として万葉集にも詠まれた由緒ある花沢の地。 何処もそうですが、見知らぬ景色の中に足を踏み入れる時のあのワクワク感、堪りませんねぇ~。
HPなどによると、花沢の地では、明治から昭和にかけてお茶や蜜橘、養蚕業が盛行を極めていたとか。花沢川と併行する旧東海道の傾斜地にある花沢の里には、今も江戸期の家など数十戸の民家が残っています。
急勾配の片側に石垣を築き、その直上に瓦屋根の木造屋敷が並ぶ・・・その光景は何処を切り取っても、それが未熟な私の写真であっても絵になる。 敷地の平場を最大限に確保するため、石垣は道路際から築かれて屋敷地を造成しています。
石垣と附属屋が階段状に連なる景観は、おそらくこの地域独自のものでしょうが、どこか懐かしく、苔むした石垣に作られたシャレた看板までもが、不思議なくらい空気に溶け込んで見えます
かってこの小さな集落には、お茶や蜜柑の収穫にあわせて多くの季節労働者が滞在していました。 民家では彼らの宿泊施設として附属屋などが増改築され、それらは現在まできちんと保存されてきました。
時間が止まったような錯覚を覚えさせる坂道、山間の切れ目から日差しが差し込み不思議な模様を地面に描き出しています。 この先をもう少し上ると天台宗の法華寺という寺院があるらしいのですが・・・・・
ここまでと決めた道の左手に細い坂道が続き、入り口には「鞍掛峠・満観峰」と書かれた案内板。流石にこの坂道を登っていく根性はありませんが、私たちとしては上出来の花沢の里訪問。何よりここまでに至る折々に見せて頂いた素敵な景観に大満足。
坂の途中に見つけた「焼津邊・・・・」と万葉仮名で刻まれた、万葉歌碑。
詠み人は、飛鳥時代から奈良時代の僧侶で歌人『春日藏首老(かすがのくらのおびとおゆ)』。
山際の細い通路に延びる軌道は、おそらく収穫したミカンを運ぶためのもの。庭先の何か所かでミカンを販売している所を見かけたのに・・・こんな時に限って小銭が無い!!両替をお願いできる人影すら無い (ノ_-。)
南北約500mほどの集落、私の足には些か厳しい坂道でしたが、思い切って歩いた価値はありました。 歩き終えてしまうと、このまま坂を下ってしまうのが勿体無いような・・例によって例の如くのいつもの感傷(^^;)
そうそう、集落の入り口に見かけた「オシャモッツァン」という、山肌を覆うような大きな岩。で、この岩は歯痛や子供の病気に大きな御利益があるとされ、古来より花沢の人々が信仰してきたとか・・
あの岩まで登って願をかけたのか、この下から見上げて手を合わせたのか・・・どっちなんでしょうね?
この訪問から約三年後の2014年、焼津市花沢地区は「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。
訪問日:2011年11月14日