新年の最初を無事に迎える事ができて、明けて二日、今日から又いつもの日常がスタートです。
垂井町宮代峯、南宮山の山麓に鎮座される「美濃国一宮:南宮(なんぐう)大社」。 御祭神は『金山彦命(鉱山を司どる神)』。配祀『彦火火出見命、見野命』。国内には『金山彦命』を祀る神社が約三千社あるといわれており、「南宮大社」はその総本社とされています。
由緒に【創設は神武天皇の時代にさかのぼる。『延喜式神名帳』に「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」とあり、美濃国府が置かれていた府中に祀られていたとされる。崇神天皇の御世現座地に移り、国府の南に位置することから、「南宮大社」と呼ばれるようになったと伝えられる。】
慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで社殿の全てを焼失しますが、寛永十九年(1642)に徳川家光によって再建。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、それらは全て国の重要文化財に指定されています。
境内に入ってひときわ目を引くのは、見上げるばかりの高さの、鮮やかな丹(に)塗りの「楼門」。楼門の前に架かる花崗岩製の橋は「石輪橋」と呼ばれ、社殿と同じく寛永十九年の造営。
なお、この「石輪橋」は祭神の通り道とされており、一般の人がこの橋を渡ることは固く禁じられています。一般の参拝者は 画像の手前にある「石平橋」を利用。「南宮大社」の例大祭では、神輿が下向する際この橋を渡ることから「下向橋」とも呼ばれており、社殿と同時期の造営で文化財の指定を受けています。
楼門の内側より神域を守護されるのは、相当の時代を経たと思われる、玉眼の木製神殿狛犬さん。本来神殿狛犬は、大いなる魔を寄せ付けぬために置かれるもので、顔立ちはかなり怖いのですが・・
「破顔一笑」と言う言葉がこれほどしっくりくるのは珍しいかも😊
対する吽形さんは、頭の角さえも優雅な飾りに思えるほど、柔らかな微笑を浮かべています。 明らかに区別を施した神獣さん以外には雌雄の区別をつけない主義の私ですが、こちらはきっと女御神獣。
神楽殿に見られる十二支の「蟇股(かえるまた)」彫刻は有名ですが、楼門にも素晴らしい彫刻があります。白い鶴にまたがり雲中を飛ぶのは『王子喬(おうしきょう)』
鯉乗り仙人とも形容される『琴高(きんこう)仙人』、その名の通り、いつも鯉に乗った姿で表されます。
「碁を打つ老人」は中国に伝わる昔話で、ある日、樵が山に入ると立派な服装の二人の老人が碁を打っているのを見つけ、それを見ている間に人界の時間を越えてしまったというお話。 それにしても碁を見ていただけで数十年が過ぎ去ったなんて、いや~、世界の何処にでも、こんな怖い話があるんですね😲
母思いの孝行息子が、真冬に母の好物の筍を捜し求めて、ついに見つけるという「雪中の筍」、真冬に筍が食べたいと言う母親って、どうなん??と私なんぞは思うのですが😓
さて、内容が説明できる彫刻は問題ないのですが、ここに来て???と悩んでしまった図柄が二枚。 大木の下にいる鹿に、中身が水か酒か不明の金の瓢箪を差し出す人、一体何をしているんでしょう。
某お菓子のキャラクターに似た、黒ひげの恰幅の良い男、松の木陰に座って何をしているのか・・ま・・ まさか😲!!「それにつけてもおやつはカァ~・・・以下自粛」何て事を、してる筈ないですよね。
という事で明日は楼門を潜った先からの「南宮大社」、見所はまだまだ続きます。
参拝日:2012年5月13日