車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大垣城公園 in 岐阜県大垣市

2020年01月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岐阜県

昨日紹介した大垣城から奥に進むと「麋城(びじょう)の滝」があり、涼しげな水音が聞こえてきます。「麋(び)」は「おおじか」という意味以外に、水際、畔などのように、水辺のことをも意味しています。ここでの「麋」は、大垣城の別名である「巨鹿」と同じ意味合いかと思いますが・・さて、どうでしょう?

「麋城の滝」近くに、治山治水に一生を捧げた『金森吉次郎』氏の銅像があります。

元治元年(1864)大垣市で生まれ、明治21年(1888)7月の揖斐川洪水の際は、大垣輪中の救済委員として、明治29年の水害の際には大垣輪中堤防委員長として、一面に浸水した大垣輪中の水防のため最前線で指揮を執り、的確な決断により災害の拡大を防止しました。(大垣市HPより)

大垣城天守の石垣には、大垣の約8割が屋根まで達するという大水害時の浸水位が刻まれており、碑とともに当時の惨状を現在に伝えています。この浸水位を刻んだ石は、画像で見ると丁度碑の後ろ。角の詰石も入れると4つ目の後方です。

拡大するとこんな感じですが、石垣に刻まれた横線(→)がその時の水位を示しています。昨年・一昨年・・それ以前も含めて、日本各地に多くの被害をもたらした大型台風による水害の爪痕を思い起こす時、改めて時代によって変わらざるを得ない「治山治水」の重要性を考えさせられます。

大垣公園内の一画、古代ギリシア建築を思わせる建造物は「大垣消防組員頌徳碑」。実は、エンタシスに支えられた碑文を見るまで、これが何なのかわからず、随分場違いなものが・・と思ったのですが心得違いでした。

「麋城の滝」から更に裏手に進むと「濃飛護国神社」の社号標と鳥居が見えてきました。ここには岐阜県(主として西濃・飛騨地方)出身の戦没者・1万8900余柱が祀られています。

 いつもなら拝殿まで行って参拝をするのですが、今回は残り時間も少なく、また湿気を含んだ風も出てきた為、本殿後方からのお参りで済まさせていただきました🙏🙏。

こうして振り返ってみると、もう少し余裕があればもっと細かい場所も行けたのにと・・毎度の事ながら同じ後悔をして、まぁ、でもそれだからまた来ようとも思えるのですが。 見納めに振り返った大垣城、目の前に見えるこの城郭が、昭和42年(1976) に復元されたという乾櫓でしょうか?

訪問日:2018年10月10日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする