永禄9年(1566)、『木下藤吉郎(豊臣秀吉)』が一夜にして築いたと伝えられる「墨俣(すのまた)一夜城」。その城跡に、大垣城の天守を模した城郭天守「墨俣一夜城歴史資料館」が建っています。
犀川を跨ぐ「太閤出世橋」を渡ると、突き当たりで「木下藤吉郎秀吉の像」が出迎えてくれます。銅像の『木下藤吉郎秀吉』・・『藤吉郎』か『秀吉』か、どっちかにして欲しいと言うか・・・秀吉にするなら姓は『羽柴』でしょう😅
さて、一夜にして築を築くと言うと、ひどく嘘くさく聞こえますが、実際はもの凄く短い期間という意味の比喩。また、城と言う言葉で城郭を想像しますが、当時は砦のようなものと考えれば納得。
復元された「藤吉郎の馬柵」は、騎馬を防ぐためのもので、その隣に「墨俣城碑」があります。
かって竹下内閣が「ふるさと創生事業」の名の下に、全国の市町村にバラ撒いた一億円😩。 墨俣町はこの1億円を基に、当時の墨俣城とは全く別物の模擬天守の墨俣城を1991年に築きました。四層天守の上には純金のシャチホコが乗せられていましたが盗難にあい、色々と物議をかもしたものです。しかし何を考えて純金のシャチホコなんて・・・。後に破損されて発見されたそうです。
歴史資料館の北側に「墨俣築城犠牲者の墓」。戦のさなかの事、犠牲者は築城時に限らなかったと思いますが・・どのような経緯で作られたのでしょうか🙏。
資料館の一画に、「すのまた」を読み込んだ『西行法師』の歌碑😄
【 春来れば うぐいすのまた 梅に来て みのなりはじめ 花のおわり 】
『近藤一鴻 (1912-1996) 』句碑、【 わが郷に 城跡のこり 太閤忌 】
墨俣公園内には「美濃国安八郡式内社の荒方神社」の論社、「白鬚神社」が鎮座されています。元々は、本巣郡と安八郡の境の(現在の犀川)河川敷に鎮座されていたものと伝えられ、創建時期は不明ですが、寛文年間、天和年間の書物に「白髭大明神:白髭神社」の記述があります。
御祭神は『猿田彦命 (さるたひこのみこと)』。
「白髭神社」の向かって右手には、出世の神の幟がはためく「豊国神社」が鎮座。
模擬天守が築かれた折に、大阪城公園の「豊國神社」から御祭神を分祀したそうです。
『豊臣秀吉』の馬印の瓢箪は、戦に勝つ度に瓢箪を増やした故事から「千成瓢箪」とも言うとか。願い事が記された沢山の「願かけ出世ひょうたん」。城内の売店で販売されています。
訪問日:2012年5月14日