南あわじ市神代社家にある高野山真言宗「南隆山・覚住寺」。『如意輪観世音』を本尊とします。
由緒「古天皇の頃(592)聖徳太子の勅詔に依り創建されたと伝えられています。住時七堂伽藍を備えた広大な寺領に塔頭も多くを数え、その威容を誇っていました。聖徳太子の勅詔に依る創建とされ、淡路島でも最古の寺院の一つです。」
淡路島七福神第三番札所「毘沙門天」。〜勇気と決断を授けるみ寺〜覚住寺。勇気の神:毘沙門天様は、印度の神様で「多聞天」とも言われ仏教四天王の一人です。左手の塔は八万四千の法蔵、十二部経の文義を具し、右手の宝棒は悪霊を退散させ財宝をさずけるといいます。
「~勇気と決断を授けるみ寺。~母親の愛に対して、父親の慈悲。愛だけではこの人生の荒波を乗り越えることはできません。金の鎧で魔をよせつけず、悪業煩悩を押さえつけ、清く、正しく、力強く勇気がなくてはなりません。父の慈悲と母の愛、相互に相まって一家和楽の風が吹きます。」公式HPより
何故か山門も本堂の画像もありませんが?山門の柵にはびっしりと足腰の衰えを退ける願いを込めた草鞋が奉納されています。何時までも達者でいられますように・・自分の足で歩けますように
こちらの鬼瓦、山門にあったのか本堂に有ったものなのか、今となっては全く不明😅
境内の一角に祀られていたのは不動明王が刻まれた石碑。祠には何が祀られているのかわかりません。
塀の屋根に施されていた漆喰細工の恵比須様・大黒天。でも毘沙門天のお寺なのに・・何故?と思うのは私だけでしょうか。
御詠歌【魔を降す 猛き姿にひきかえて 情にあまる福徳の神】
お寺の入り口にあった手水舎、でも実は隣接する広田神社のものなのかもしれません。この一帯には神仏習合の名残が思いのほか多く残されており、理由はともかく参拝者には有難い事です。
参拝日:2010年9月18日