車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

淡路人形浄瑠璃 in 兵庫県南あわじ市(旧三原町)

2021年06月08日 08時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

南あわじ市旧三原庁舎の前庭、その一角に「淡路人形浄瑠璃:敦盛と玉織姫」と題した像が建立されています。

「源平合戦一谷の戦で平家の若武者敦盛は 母藤の局と都へ帰るようにと父経盛に勧められたが 使命感に燃え生田森(神戸郡)の平家の陣屋に向かいます。新妻の玉織姫はけなげにも敦盛に従う 睦まじい夫婦共生の姿です」説明碑より

国生み神話ゆかりの「戎舞」が起源といわれる淡路人形浄瑠璃(国指定重要無形民俗文化財)。淡路島を代表する伝統芸能であり、最盛期の江戸時代中期には40以上の人形座があったと言います。

旧三原庁舎の西隣にある「淡路人形浄瑠璃資料館」。ここには『市村六之丞座』の諸道具一式、野掛舞台模型、人形、頭類、衣装、浄瑠璃本、諸帳簿類、大小道具類が展示されており、自由に見学ができます。

入口入ってすぐの場所に飾られた「熊谷陣屋」。熊谷次郎直実が、平敦盛の命を助けよとの密命を受け、やむなく身替りに実子小次郎を選ぶという悲話。そこへ息子を心配する妻の相模があらわれて・・・という一場面です。

ズラリと並んだ人形たち。ひとたび人の手に操られた瞬間、それらは命を得て生き生きと物語を綴っていきます。

人形の名前を見るだけで物語が分かるものもあれば、解説を聞いても??な話も・・それほどに人形浄瑠璃の演目は多岐にわたっています。

人形たちの衣装がズラリと展示されている様は圧巻。

名人と謳われた人形師によって生み出された頭の数々。

はかなくも美しい姫君、凛とした佇まいの武家の奥方・・

物語りを伝えていく「浄瑠璃本」

人形浄瑠璃と言えば「傾城阿波の鳴門」。はるばる阿波の国から大阪まで訪ね歩いてきた巡礼お鶴。永遠の別れになるとも知らず、我が娘と知りつつ追い返さざるを得ない母・・有名な一場面が再現されています。

「母(かか)さんの名は」と尋ねるお弓、「あい、お弓と申します~」と答えてうつむくお鶴。我が子であることを確信し、思わずうろたえるお弓・・見る人の涙を絞る名場面中の名場面。

太ざおの三味線に合わせて語られる義太夫節。その哀切な語りが見る者の涙を誘い、さらに人形たちに命を与えていきます。

旧三原町庁舎前に建立されていた碑、おそらく歌碑の類と思われるのですが・・難読過ぎて読めません。

旧南淡町域に作られた緑の道しるべ賀集公園。遠目からでも目立つ美しい美女は、人形浄瑠璃「絵本太功記」に登場する武智光秀の子・十次郎の許婚:初菊。

神戸淡路鳴門自動車道上にある緑PAにも、人形浄瑠璃「絵本太功記」の武智光秀のモザイク画があります。ちなみにこのお話では主殺しの報いによって実母と子を死なせてしまうと言う、何とも切ない役割の光秀さんです。

同じく緑PAにあったもう一枚のモザイク画は「傾城阿波の鳴門」のお弓とお鶴。実際にはこのように触れ合うこともなく、哀れにも実の父に殺されてしまうという切ない結末なのですが・・

モザイク画と人形浄瑠璃の繋がりでもう一枚、道の駅:うずしおに隣接する門崎灯台の壁面には「一谷嫩(ふたば)軍記」に登場する熊谷次郎直実の頭絵があります。

訪問日:2010年9月18日

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