奈良市二条大路のこの地に、『元明天皇』により遷都の詔が出され、都が移されたのは710年。恭仁京や難波京への遷都で一時的に放棄はされましたが、745年には再び平城京に遷都。その後784年に長岡京に遷都されるまで、この地は政治の中心地として栄華を誇りました。
1998年12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産を構成するひとつとして登録。私たちが平城宮跡を訪れたのは2002年の夏。古の地に朱雀門が復元されたと聞いてからです。
「平城宮朱雀門」。考古学的研究と奈良県下の寺社に残る門を参考にして、1998年に五間三戸の二重門がかつての位置に等寸復元。大内裏において南面する正門であり、宮城の12の門のうち最も重要とされていた門です。
朱雀門の向こうに見えるものはひたすらに青い草原、時折吹く風が草をなびかせる様はとても幻想的。このすぐ向こうが喧騒を極める奈良の市街とは、とても信じがたい・・・・
こちらには「平城宮第一次大極殿正殿」が復原される予定だとありました。これだけの規模の基礎に建てられる正殿、どれほど見事な情景だろうか・・ねぇ、正殿が完成したら、その時もう一度ここを訪ねようね。
2010年に第一次大極殿は復元。はじめてこの場所に立ったときから実に21年もの歳月が過ぎてしまいました。あの日のもう一度の約束は、車中泊の予定に追いやられたまま実現せず・・今ではもうすっかり「無かった約束」に変わりました。
朱雀門の東南に建つ銅像は、平城宮跡の保存活動の先駆者として知られる『棚田嘉十郎』氏。大和奈良町の植木商であった彼は、自らの私財を投じて平城宮跡の保存運動に力をつくしました。彼が指差す先には、見事に復元された南都・平城京がきっと見えているのでしょう。
【 いにしへの ならのみやこの八重桜 けふ九重に にほひぬるかな 】(昔、都であった奈良の八重桜が、今はこの平安の宮中でいっそう美しく咲いていることよ。)伊勢大輔
それにしても21年・・・何と二昔も前の事なんだと今更ながらに過ぎてゆく歳月の速さに驚きを禁じえません。こうして画像を見ることで当時の情景が思い出せるうちに・・書き残していければと願っています。
訪問日:2002年8月31日